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中西用徳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中西 用徳(なかにし もちよし、1870年2月1日明治3年1月1日[1][2]) - 1935年昭和10年)12月9日[2])は、明治から昭和時代初期の司法官大審院部長判事

経歴

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中西用亮の子としてのちの三重県に生まれる[1]。普通学を修めたのち1892年(明治25年)法科大学に入り、1895年(明治28年)同大を卒業し法学士の称号を得た[3]1897年(明治30年)栃木区裁判所[2]検事に任じ、同年判事に転じた[3]。浦和地方裁判所判事、東京地方裁判所判事、同部長判事を経て、1902年(明治35年)東京控訴院判事に就任する[3]。その後、東京、大阪各控訴院部長判事、京都、大阪各地方裁判所所長、長崎控訴院長を歴任し、1928年(昭和3年)大審院部長となった[2]

栄典

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脚注

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  1. ^ a b 人事興信所 1903, 572頁.
  2. ^ a b c d 上田ほか 2001, 1371頁.
  3. ^ a b c 人事興信所 1903, 573頁.
  4. ^ 『官報』第4117号「叙任及辞令」1926年5月17日。

参考文献

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  • 人事興信所 編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/779810 
  • 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496