中西用徳
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中西 用徳(なかにし もちよし、1870年2月1日(明治3年1月1日[1][2]) - 1935年(昭和10年)12月9日[2])は、明治から昭和時代初期の司法官。大審院部長判事。
経歴
[編集]中西用亮の子としてのちの三重県に生まれる[1]。普通学を修めたのち1892年(明治25年)法科大学に入り、1895年(明治28年)同大を卒業し法学士の称号を得た[3]。1897年(明治30年)栃木区裁判所[2]検事に任じ、同年判事に転じた[3]。浦和地方裁判所判事、東京地方裁判所判事、同部長判事を経て、1902年(明治35年)東京控訴院判事に就任する[3]。その後、東京、大阪各控訴院部長判事、京都、大阪各地方裁判所所長、長崎控訴院長を歴任し、1928年(昭和3年)大審院部長となった[2]。
栄典
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年 。
- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。