中藤義雄
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 岡山県倉敷市 |
生年月日 | 1963年5月23日(61歳) |
身長 体重 |
176 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1986年 ドラフト4位 |
初出場 | 1987年8月26日 |
最終出場 | 1987年10月6日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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中藤 義雄(なかとう よしお、1963年5月23日 - )は、岡山県倉敷市出身の元プロ野球選手(内野手)。
来歴・人物
[編集]倉敷工業高時代は1番・遊撃手として活躍するが、甲子園出場は叶わなかった[1]。
高校卒業後は、社会人野球のプリンスホテルへ入社[1]。1986年の都市対抗野球に出場。同年のプロ野球ドラフト会議で近鉄バファローズから4位指名を受け入団。内野ならどこでも守れる器用さと好打で即戦力と期待された。
1年目の1987年は怪我で出遅れたが、シーズン後半に一軍登録されると、そこそこの活躍を見せた。2年目の1988年にはジュニアオールスターに選出されるなど二軍では活躍したが、一軍に昇格することはなかった。翌1989年のシーズンオフ、父親の病状悪化により家業を継ぐため現役を引退した[1]。
引退後は、家業の水島地下工業を引き継ぎ社長に就任した。しかし、同社は2007年10月31日も破産手続開始を申し立て倒産する。その後、地元にバッティングセンターを開業し、個別レッスンも行ない約10人の甲子園球児も輩出した。その後、高校野球指導者を目指し通信制の星槎大学に入学し、2017年に教育免許を取得し卒業した[1]。同年秋、母校である倉敷工業高のコーチに就任した[1]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1987 | 近鉄 | 16 | 36 | 35 | 4 | 10 | 1 | 0 | 0 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 8 | 1 | .286 | .306 | .314 | .620 |
通算:1年 | 16 | 36 | 35 | 4 | 10 | 1 | 0 | 0 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 8 | 1 | .286 | .306 | .314 | .620 |
記録
[編集]- 初出場:1987年8月26日、対阪急ブレーブス18回戦(阪急西宮球場)、8回裏に三塁手で出場
- 初先発出場:1987年8月27日、対阪急ブレーブス19回戦(阪急西宮球場)、8番・三塁手で先発出場
- 初安打:1987年8月29日、対南海ホークス18回戦(大阪スタヂアム)、3回表に加藤伸一から単打
背番号
[編集]- 29 (1987年 - 1989年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 中藤義雄 - NPB.jp 日本野球機構