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中藤まつゑ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中藤 まつゑ(なかふじ まつゑ、1906年明治39年〉9月15日 - 1997年平成9年〉12月16日)は関西のアマチュア女性写真家である。出身は奈良県

夫は関西を中心に活動していた写真家中藤敦である。夫の死後カメラを取り、1975年8月銀座ニコンサロンにて「極楽浄土」と題して写真展を開いた。

第一回木村伊兵衛写真賞(1975年)にその「極楽浄土」という作品群で最終候補にノミネートされた(最終候補者:佐々木崑、中藤まつゑ、平地勲馬渕直哉。受賞者北井一夫受賞作品「村へ」、選考委員:伊奈信男五木寛之篠山季信渡辺勉、岡見璋)。

「現代の写真'76」に三つの表現(中藤まつゑ、平地勲、川人忠幸)として写真展「極楽浄土」の作品が掲載された。[1]四国お遍路、恐山のイタコ、高野山、徳島、平戸の切支丹など、永遠の平安と救いを願い求める人々とその風景を作品に残した。

1986年に浪華写真倶楽部に入会し、主に花火を題材に全国の花火大会などへ撮影旅行を行い、幻想的な作品を多く残した。サロンなどで個展を開催した。[2]

1997年12月16日召天。セブンスデー・アドベンチスト大阪東部教会にて葬儀。菜食主義者として72年間の信仰を全うし92歳であった。

脚注

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  1. ^ 中藤まつゑ (1976). “三つの表現 極楽浄土”. アサヒカメラ増刊 61巻5号(通巻529号): 109-111. 
  2. ^ “73歳の老女性写真家の活躍”. クロワッサン(Croissant) No,33(325): 3. (1979). 

参考文献

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  • 雑誌『 ウーマン 』1977年7月 VOL.7 NO.7(講談社発行)に「特集:ふたたびの出発・私の場合」と題して記事が掲載。

外部リンク

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