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中洲流

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中洲流(なかすながれ)は、博多祇園山笠の運営における構成単位であるの一つである。福岡市博多区中洲(旧 東中洲)を地盤とするである。町名町界整理後の現行町名で構成される。

歴史

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東中洲(現在の中洲)は、江戸期には魚町流(福神流)の一部とされていた。

戦前は、土居流の加勢町「東中洲(中洲若)」として山笠に参加していたが、昭和24年に加勢町から独立し「中洲流」として、ひとつのとなり現在に至る。 現在の博多七流に含まれる。

概要

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舁き山と飾り山を立て、飾り山は中洲繁華街を貫く中洲大通りに毎年建てられている。中洲五丁目から中洲一丁目で順番に当番町を送り、山笠の運営にあたる。中洲に本店を置く辛子明太子メーカーのふくやとは創業当時から縁が深い。

服装

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統一の長法被(当番法被)、水法被を着用する。 長法被(当番法被)は「中洲」の文字を図案化したデザインである。 水法被は、背中に中洲の文字。襟には「中洲若」。子供用の水法被の襟には「中洲子」と書かれている。 締め込みは紺や黒が多く見られる。

また、長法被(当番法被)を着用する際は、下着の代わりに水法被を着用する。元々はどこの流でも行われていたが、現在では中洲流独自の風習となっている。

構成町

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新町名5ヶ町で構成されている。

  • 中洲一丁目
  • 中洲二丁目
  • 中洲三丁目
  • 中洲四丁目
  • 中洲五丁目

中洲〇丁目の中洲を省き、単に〇丁目と呼ばれる場合もある。

加勢町

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  • 満津若(堅粕の一部)
  • 翁若(馬出の翁別神社の氏子地域)
  • 警固若(警固)

お汐井取り帰路

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中洲流のお汐井取りの帰路は、西門橋から博多部へ入ります。これは中洲流が結成される前、加勢町として土居町流に参加していた頃、土居町流が西門橋から博多部に入っていたことから、今も中洲流に残る風習である。

志賀海神社 参拝

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志賀海神社の砂浜の真砂を、かつては「お汐井」として使っていた事から、中洲流は志賀海神社にお礼参りを行う。

この風習は、中洲流独自の風習である。

外部リンク

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