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中津村 (愛媛県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
なかつむら
中津村
廃止日 1955年3月31日
廃止理由 合併
仕七川村弘形村・中津村(一部)→美川村
現在の自治体 久万高原町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 四国地方
都道府県 愛媛県
上浮穴郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 仕七川村・柳谷村・弘形村・高知県仁淀村・吾川村
中津村役場
所在地 愛媛県上浮穴郡中津村大字黒藤川
座標 北緯33度34分31秒 東経133度00分21秒 / 北緯33.57522度 東経133.00583度 / 33.57522; 133.00583 (中津村)座標: 北緯33度34分31秒 東経133度00分21秒 / 北緯33.57522度 東経133.00583度 / 33.57522; 133.00583 (中津村)
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中津村(なかつむら)は、1955年昭和30年)まで愛媛県上浮穴郡にあったである。

現在の上浮穴郡久万高原町の東部にあたる。面河川流域の純山村。

地理

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現在の久万高原町の東部。四国山地の中、面河川の左岸。高知県境と接する。面河川の流れにほぼ沿って、沢渡(さわたり)、黒藤川(くろふじがわ)、久主(くす)の順で、面河川の左岸の山肌に集落が点在している。

地名の由来
中津明神山にちなむ。

歴史

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藩政期

明治以降

  • 1889年明治22年) 成立。
  • 1875年(明治8年) 宮成学校開設、後の黒藤川小学校
  • 1875年(明治8年) 久主学校開設、後の中津小学校
  • 1887年(明治20年)頃 予土横断道路が隣の柳谷村まで開設。面河川を渡る渡船があった。
  • 大正期   面河川に吊橋が架けられていた。
  • 1935年昭和10年) - 現国道33号線の改修工事が終了。大型自動車の通行が可能となり、隣県の土讃本線佐川駅 - 久万町を結ぶ省営バスが村内で営業開始[1]
  • 1947年(昭和22年) 村立黒藤川中学校、村立久主中学校開設
  • 1955年(昭和30年) 合併により美川村となる。
中津村の系譜
                       (昭和30年3月31日)
(町村制実施以前の村) 町村制      ┏━━ 大字中津は柳谷村に区域変更
黒藤川 ━━┓     施行時      ┃
久主  ━━┣━━━━━ 中津村   ━━━┫   (昭和30年3月31日合併)
沢渡  ━━┛              ┣━━━━ 美川村
                      ┃
             仕七川村 ━━━━┫
                                          ┃
             弘形村 ━━━━━┛
(注)美川村になって以降、及び仕七川村ほかの成立前の系譜はそれぞれの記事を参照のこと。

地域

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黒藤川、久主(くす)、沢渡の3つの大字があった。いずれも明治の村制発足前からの旧村である。昭和期に分割、合併して一部が柳谷村になってから、大字黒藤川の一部と大字久主が合体して「大字中津」となった。さらに平成の合併により、久万高原町になってからは町内全域について地名表記に「大字」は付けなくなった。

役場は大字黒藤川においた。

行政

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役場

大字黒藤川においた。

産業

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米、麦、いも類、三椏などを産し、養蚕も営まれた。

交通

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予土横断道路(今日の国道33号)が対岸の柳谷村を貫通していた。

脚注

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  1. ^ 佐川-久万間省営バスが全通『大阪朝日新聞』昭和10年7月18日(愛媛版)

関連項目

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