中泉町
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(中泉村から転送)
なかいずみちょう 中泉町 | |
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廃止日 | 1940年11月1日 |
廃止理由 |
新設合併 見付町、中泉町、西貝村、天竜村 → 磐田町 |
現在の自治体 | 磐田市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 静岡県 |
郡 | 磐田郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 見付町、西貝村、天竜村、於保村、井通村 |
中泉町役場 | |
所在地 | 静岡県磐田郡中泉町大字中泉 |
座標 | 北緯34度42分43秒 東経137度51分09秒 / 北緯34.71206度 東経137.85253度座標: 北緯34度42分43秒 東経137度51分09秒 / 北緯34.71206度 東経137.85253度 |
磐田地域の町村制施行時の町村。11が豊田郡中泉村。(1.磐田郡見付町 12.梅原村 13.天竜村 63.山名郡西貝村) | |
ウィキプロジェクト |
中泉町(なかいずみちょう)は静岡県の西部、豊田郡・磐田郡に属していた村である。
現在の東海道本線磐田駅が所在し、旧見付町とともに現在の磐田市中心部を形成する。
地理
[編集]- 河川:今之浦川
歴史
[編集]中泉には、天正15年(1587年)頃に徳川家康によって建設された中泉御殿があった[1]。敷地1万坪とも言われる御殿は、徳川家が東海道を往復する際の休息地として利用されたが、寛文10年(1670年)に廃止された[1]。また、中泉陣屋(中泉代官所)が設置され、遠江国や三河国などの幕府領(天領)を管轄する中泉代官の拠点となった。中泉代官を務めた人物には、安政大地震への対応や貧民救済で業績を残した林靏梁がいる。
明治維新が成ると代官は廃止され、代わって静岡藩の奉行が置かれた。明治2年(1869年)1月に初代中泉奉行に任命された前島来輔(密)は江戸から移住してきた旧幕臣の支援を行ったほか、天竜川の水害を受けて困窮した住民を救うため、近隣の寺院と協力し「中泉救院」を開設した[2][3]。なお、前島は後に明治政府に出仕し近代郵便制度を整備した功績で知られ、その所縁から磐田駅前には前島の胸像と共に当時の形を再現した郵便ポストが設置されている。
東海道線が開設されると、1889年4月に当町内に中泉駅(現在の磐田駅)が開業した。駅の用地は、中泉を代表する素封家で、政治家・社会事業家でもあった青山宙平(1818年 - 1910年)が提供したもので[4][5]、駅前に顕彰碑がある。
行政区画の変遷
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、豊田郡中泉村、山名郡二ノ宮村が合併して豊田郡中泉町が発足。梅原村と町村組合を結成し、大字中泉に組合役場を設置。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により所属郡が磐田郡に変更。
- 1929年(昭和4年)3月1日 - 梅原村を編入。町村組合を解消。
- 1940年(昭和15年)11月1日 - 見付町・西貝村・天竜村と合併して磐田町が発足。同日中泉町廃止。
交通
[編集]鉄道路線
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “企画展 徳川家康と近世の磐田 〜中泉御殿跡発掘調査より〜”. 磐田文化財だより 第17号. 磐田市. 2015年1月25日閲覧。
- ^ “磐田に残る明治の記憶”. 広報いわた 平成30年11月号. 磐田市. 2022年9月26日閲覧。
- ^ “静岡県の福祉に纏わる史跡シリーズ”. 社会福祉しずおか No.828. 静岡県社会福祉協議会. 2022年9月26日閲覧。
- ^ “青山士”. 磐田の著名人 | 発見!いわた. 磐田市立図書館. 2015年1月25日閲覧。
- ^ “青山宙平”. 磐田の著名人 | 発見!いわた. 磐田市立図書館. 2015年1月25日閲覧。
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 22 静岡県
- 磐田市誌編纂委員会『中泉代官』静岡県磐田市/磐田市誌編纂委員会〈磐田市誌シリーズ 6〉、1981年。