中東和平会議
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中東和平会議(ちゅうとうわへいかいぎ、英: Madrid Conference of 1991)とは、1991年10月30日から11月1日にかけてスペインの首都マドリードで開催された国際会議で、パレスチナ問題について討議した。
アメリカ合衆国が会議の主導権を握り、ソ連とイスラエルも参加、アラブ諸国からはエジプト、ヨルダン、レバノン、シリア、そしてパレスチナの代表団が会議に参加した。ベーカー米国務長官は、慎重に根回しを行い、これらの当事者を会議に参加させた[1]。この会議の後、1991年12月16日の国連総会で決議A/RES/46/86が採択され、1975年11月10日の国連総会決議A/RES/3379が取り消され、シオニズムは人種主義や人種差別ではないと認定された[2]。この国連総会決議A/RES/3379の取り消しは、イスラエルがマドリード会議に参加する条件だった[3]。
この約2年後の1993年9月にはワシントンで、パレスチナ暫定自治協定が締結された。
脚注
[編集]- ^ “見えてきた和平の青写真”. ニューズウィーク日本版(1991年11月7日号). TBSブリタニカ. (1991-11-7). pp. 24-25.
- ^ “U.N. Repeals Its '75 Resolution Equating Zionism With Racism”. The New York Times (1991年12月17日). 2024年8月29日閲覧。
- ^ “Why doesn’t the US try to repeal the UN’s anti-settlements resolution?”. times of israel (2020年1月2日). 2024年8月29日閲覧。it was Israel’s condition for its participation in the Madrid Peace Conference later that year