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中条信復

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中条 信復(ちゅうじょう のぶより、享保12年(1727年)- 文化12年10月27日1815年11月27日))は、高家旗本中条信秀の長男。初名は信敬。通称は鉄三郎、兵庫。官位は従四位上左少将・山城守。

寛保2年(1742年)12月2日、父信秀の死去により家督を相続する。延享3年(1746年)9月22日将軍徳川家重に御目見する。表高家衆に列する。宝暦12年(1762年)8月15日、高家職に就き、従五位下侍従・大和守に叙任する。後に従四位下に昇進し、山城守に改める。安永9年(1781年)5月4日高家肝煎となる。その後、従四位上左少将に昇進する。文化5年(1808年)12月14日解任、高家末席に列する。文化7年(1810年)11月25日隠居し、養子信義に家督を譲る。文化12年(1815年)10月27日死去、89歳。

正妻は高家旗本畠山義紀の養女(実父上杉勝延)。養子信義(実父秋月種美)ら二男一女あり。

先代
中条信秀
高家中条家第4代当主
1742 - 1810
次代
中条信義