中村重友
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時代 | 戦国時代 |
---|---|
生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
別名 |
右近太夫 次郎左衛門 |
主君 | 織田信長→豊臣秀吉→蜂須賀家政 |
藩 | 徳島藩 |
氏族 | 中村氏 |
子 | 中村重勝(右近) |
中村 重友(なかむら しげとも)は、戦国時代の武将。尾張国出身。阿波海部城主。初名は次郎左衛門。通称は右近太夫。息子は大西城主などを務めた中村重勝(右近)。
生涯
[編集]尾張国中村郷(現在の愛知県名古屋市中村区)の小領主として織田信長や豊臣秀吉に仕えた。
1576年(天正4年)には天王寺合戦に参加し、蜂須賀正勝と共に一揆勢の首を多数上げた。その後、徳島藩祖である蜂須賀家政の家老となり阿波国へ入る。
入国後は阿波九城のひとつである海部城の城主となり、重友が城主を退いた後は、息子である中村重勝(右近)が跡を継いだ。また息子の重勝は、歌舞伎役者の初代中村勘三郎の父とする説があるが、定かではない[1][2]。
1600年(慶長5年)、蜂須賀家政に従い高野山登山[3] の最中に没すると伝わるが、没年は不詳である。
参考文献
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ “中村勘三郎さんが三好市へ先祖の墓参り”. 三好市 (2009年5月). 2017年11月18日閲覧。
- ^ 初代中村勘三郎生誕像を中村公園に建立する会
- ^ 関ヶ原の戦いに際した、家政出家のため