中村誠一 (陸軍軍人)
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中村 誠一 | |
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生誕 |
1889年10月1日 日本 石川県 |
死没 | 1961年4月22日(71歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1910年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
中村 誠一(なかむら せいいち、1889年(明治22年)10月1日[1] - 1961年(昭和36年)4月22日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[2]
経歴
[編集]1889年(明治22年)に石川県で生まれた[1]。陸軍士官学校第22期卒業[3]。1936年(昭和11年)5月に工兵第1連隊留守隊長に就任し[2]、1937年(昭和12年)3月1日に陸軍工兵大佐進級と同時に工兵第6連隊長に着任[2]。日中戦争に出動し、保定会戦から南京戦までの各作戦で工兵部隊として支援した[3]。1938年(昭和13年)7月に電信第2連隊長に転じ[2]、1939年(昭和14年)8月には陸軍通信学校幹事に着任[2]。
1940年(昭和15年)3月に陸軍少将に進級し[2]、1941年(昭和16年)8月に陸軍通信学校長に就任した[1]。1944年(昭和19年)3月1日に南方軍通信隊司令官となり、南方方面に出征[1][3]。7月8日には南方軍航空技術部長に転じ[1][3]、10月26日に陸軍中将に進級した[2]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。