中川晶
なかがわ あきら 中川 晶 | |
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生誕 |
1952年(71 - 72歳) 日本 京都府 |
国籍 | 日本 |
出身校 |
大阪府立大学農学部農芸化学科卒業 奈良県立医科大学医学部卒業 |
職業 | 心療内科医、精神科専門医 |
中川 晶(なかがわ あきら、1952年〈昭和27年〉- )は、京都府生まれの心療内科医、精神科専門医。中川米造[1]の子息である[2]。
京都看護大学大学院特任教授[3]、なかがわ中之島クリニック院長[4]、日本保健医療行動科学会会長[5]、ナラティヴ・コミュニケーション研究所[6][出典無効]所長、ナラティヴ・インストラクター協会代表[7]。
専門はナラティブアプローチ。趣味は絵画、陶芸、物書き。多数の著書があり、うち3冊は台湾語などに翻訳されている。
2014年(平成26年)9月15日(月)〜18日(木)にロンドンで開催された第7回国際保健医療行動科学会議(The 7th International Conference of Health Behavioral Science)では大会長を務めた[8](写真参照)。団田芳子ファン倶楽部(DFC) 顧問[9]。
経歴
[編集]京都府に生まれる。1977年大阪府立大学農学部農芸化学科を卒業。同年大学院に進学。その後中学校の生物学教師を経て、奈良県立医科大学医学部に再入学。1985年奈良県立医科大学を卒業。卒業後は大阪赤十字病院内科研修を終えて、大阪大学精神医学教室へ入局、専門は心療内科だった。1995年なかがわ中之島クリニックを開設。2001年より大阪産業大学人間環境学部助教授を務め、2003年教授となった。精神科専門医、臨床心理士でもある。
2007年4月より9月末まで、ロンドン大学キングズカレッジへNarrative Based Medicine(ナラティヴ・ベイスト・メディシン)の研究のため留学[10]。
2014年から2016年まで奈良学園大学保健医療学部教授を務めた。2017年より京都看護大学大学院特任教授を務める。
執筆・連載
[編集]2000年から2001年にかけて、朝日新聞連載「漂流時代」で初回はゲスト、次回よりレギュラーを務めた(これは「国境なき医師団」「海中写真家」「宇宙生物学者」等の様々なゲストを迎えて4人のレギュラーと対談する企画であった)。 2004年から2010年にかけて、産経新聞のコラム(中川晶の生き方セラピー)を連載[10]。
著作
[編集]- 「こころの癒し方」1995、講談社
- 『やすらぎが見つかる心理学 5つの物語で読む心のコリのほぐし方』PHP研究所, 1997.7
- 『心療内科医のメルヘン・セラピー ココロの重荷が軽くなる11の物語』(こころライブラリー 講談社, 2003.10
- 『「うつ」を遠ざける15の方法』2010年4月 PHP研究所
- 『「嫌われるのが怖い!」がなくなる本 ムリせずラクに生きられる!』大和出版, 2014.1 - 2021年、同書が台湾で翻訳出版。翻訳出版は「心療内科医のメルヘンセラピー」「心の癒やし方」についで3冊め。
共著・監修
[編集]- 翻訳
レベッカ・ウーリス『大切な人が、心の病気にかかったら みんなが笑顔を取り戻すための対処法』酒井泰介訳, 中川晶 医学監訳. PHPエル新書 2003.12
所属学会
[編集]日本保健医療行動科学会会長、ナラティヴ・コミュニケーション研究所所長、ナラティヴ・インストラクター協会代表、日本心理臨床学会会員、日本精神神経学会会員など。
脚注
[編集]- ^ 『ココロの健康からだの医学 からだの文化生理学 ちょっとおしゃべり』中川米造・中川晶共著. フォーラム・A, 1996.4
- ^ “大阪医歯学院 顧問医師 中川晶先生のためになる話”. 大阪医歯学院. 2021年7月19日閲覧。
- ^ “2022年度 京都看護大学大学院看護学研究科修士課程 募集要項”. 京都看護大学大学院. 20210627閲覧。
- ^ “なかがわ中之島クリニック”. なかがわ中之島クリニック. 2021年6月27日閲覧。
- ^ “日本保健医療行動科学会”. 日本保健医療行動科学会. 2021年6月27日閲覧。
- ^ “ナラティヴコミュニケーション研究所”. ナラティヴコミュニケーション研究所. 2021年6月27日閲覧。
- ^ “ごあいさつ”. 一般社団法人日本ナラティブインストラクター協会. 2021年6月27日閲覧。
- ^ “第7回国際保健医療行動科学会議”. 日本保険医療行動科学会. 2021年6月27日閲覧。
- ^ 団田芳子. 大阪私がホレた旨し店. ISBN 978-4-908443-18-3[要ページ番号]
- ^ a b “協会専任講師紹介”. 日本成人病予防協会. 2021年6月27日閲覧。