中川勝弘
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中川 勝弘(なかがわ かつひろ、1942年(昭和17年)3月11日 - 2016年(平成28年)7月8日)は、日本の元通産官僚、実業家。2013年7月時点でトヨタ自動車相談役。元通商産業審議官、元トヨタ自動車副会長。
来歴
[編集]東京大学法学部第2類(公法コース)卒業後、通商産業省に入省。ハーバード大学公共政策大学院(ケネディ・スクール)卒業[1] [2]。通商政策局経済協力部長、機械情報産業局次長を経て、1993年(平成5年)貿易局長、1994年(平成6年)大臣官房長、1996年(平成8年)機械情報産業局長、1997年(平成9年)通商産業審議官を歴任し、1998年(平成10年)退官。
その後、2000年(平成12年)東京海上キャピタル会長、2001年(平成13年)トヨタ自動車常務、2002年(平成14年)同専務、2003年(平成15年)同副社長を経て、2004年(平成16年)から2009年(平成21年)まで同副会長を務める。
2016年7月8日に多臓器不全のため死去[3]。74歳没。
略歴
[編集]- 1960年(昭和35年) 福岡県立修猷館高等学校卒業[4]
- 1964年(昭和39年) 国家公務員採用上級甲種試験(法律)合格
- 1965年(昭和40年) 東京大学法学部第2類(公法コース)卒業、通商産業省入省(大臣官房総務課配属)
- 1982年(昭和57年)10月15日 通商産業省大臣官房広報課長
- 1984年(昭和59年)6月25日 通商産業省産業政策局企業行動課長
- 1986年(昭和61年)6月10日 通商産業省機械情報産業局自動車課長
- 1988年(昭和63年)6月14日 通商産業省貿易局総務課長
- 1989年(平成元年)6月27日 通商産業省大臣官房総務課長
- 1990年(平成2年)2月22日 大臣官房地方課長併任
- 1990年(平成2年)3月5日 大臣官房地方課長併任解除
- 1990年(平成2年)4月1日 大臣官房情報管理課長併任
- 1990年(平成2年)4月9日 大臣官房情報管理課長併任解除
- 1990年(平成2年)6月29日 通商産業大臣官房付
- 1990年(平成2年)8月6日 通商産業省通商政策局経済協力部長
- 1992年(平成4年)6月26日 通商産業省機械情報産業局次長
- 1993年(平成5年)6月25日 通商産業省貿易局長
- 1994年(平成6年)12月28日 通商産業大臣官房長
- 1996年(平成8年)8月7日 通商産業省機械情報産業局長
- 1997年(平成9年)7月11日 通商産業審議官
- 1998年(平成10年)6月26日 退官
- 1998年(平成10年)9月 東京海上火災保険株式会社顧問
- 2001年(平成13年)6月 同退任
- 2001年(平成13年)6月 トヨタ自動車株式会社常務取締役
- 2002年(平成14年)6月 トヨタ自動車株式会社専務取締役
- 2003年(平成15年)6月 トヨタ自動車株式会社取締役副社長
- 2004年(平成16年)5月 トヨタ自動車株式会社取締役副会長
- 2005年(平成17年)6月 中央精機株式会社監査役
- 2006年(平成18年)5月 松竹株式会社監査役
- 2006年(平成18年)6月 愛知製鋼株式会社監査役
- 2009年(平成21年)6月 トヨタ自動車株式会社相談役、株式会社国際経済研究所代表取締役理事長
脚注
[編集]- ^ MC/MPA (Mid-Career Master in Public Administration) 1971.
- ^ Harvard University John F. Kennedy School Of Government 1998 Alumni Directory. Bernard C. Harris Publishing Company, Inc.. (1998). p. 345
- ^ “中川勝弘さん死去 元トヨタ自動車副会長”. 朝日新聞. (2016年7月11日) 2016年7月11日閲覧。
- ^ 東京修猷会 第494回二木会(2002年5月9日(木))
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