中島覚之
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中島 覚之(なかじま さだゆき、1882年(明治15年)10月1日[1] - 没年不詳)は、朝鮮総督府官僚・台湾総督府官僚。旧名は秀太郎。
経歴
[編集]佐賀県藤津郡八本木村(現在の鹿島市)出身[1]。第五高等学校を経て[2]、1913年(大正2年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し[3]、同年11月、文官高等試験行政科試験に合格した[2]。司法官試補・釜山地方法院在勤、京城地方法院判事、税関監視官・事務官・仁川税関監視課長・税務課長、平安北道財務部長、仁川府尹、専売局事務官・大邱専売支局長、全州専売支局長などを歴任した[1]。
1927年(昭和2年)、台湾総督府に転じ、専売局参事・煙草課長[3]、高雄州内務部長、新竹州内務部長を務めた[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d 自治制度改正十周年紀念人物史 1931, p. 新竹州0.
- ^ a b 『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、208頁。
- ^ a b 人事興信録 1928.
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 原幹次郎編『自治制度改正十周年紀念人物史』勤労と富源社、1931年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。