中島流
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概要
[編集]開祖は大坂出身の中島太兵衛長守(1694-1762)。斎藤新蔵に武衛流砲術を、大野宇右衛門に自得流砲術を、佐々木浦右衛門に佐々木流砲術を学び、三派の長所を取捨選択して中島流砲術を確立した[1]。 矢を一度に発射する連矢砲、煙硝・硫黄・炭・松脂・樟脳などを混合した火薬による炮録玉を特徴とした砲術である。
中島流砲術の秘伝集には、「砲術を賤しき業という人は、火砲を知らぬ愚将と知れ」と記載、砲術軽視の武将を愚将としている[2]。 「中島流炮術管䦰録」は図面が多く、鉄砲に始まり、大筒の棒火矢近町など棒火矢や焙烙玉発射の架台、木砲の製作法、運用法がわかりやすく記載されている[3]。
森重流砲術の流祖・森重都由、大塩平八郎[4]、窪田勝英(窪田清音の父)が中島流砲術を習得しており[5]、真田幸貫も鉄砲研究のため、近臣に学ばせており[6]、様々な流派に影響を与えた。