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中島徳太郎 (貴族院議員)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中島徳太郎
なかしま とくたろう
生年月日 1881年1月2日
出生地 日本の旗 日本 石川県金沢区
没年月日 (1955-08-09) 1955年8月9日(74歳没)
前職 実業家
所属政党 研究会
称号 正五位
勲三等

在任期間 1939年8月28日 - 1947年5月2日
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中島 徳太郎(なかしま とくたろう、1881年明治14年)1月2日[1] - 1955年昭和30年)8月9日[1][2])は、大正から昭和期の実業家政治家貴族院多額納税者議員。中島家3代当主、旧姓・長生、旧名・与四郎[3]。位階は正五位[2]。勲等は勲三等[2]

経歴

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石川県金沢区、現金沢市小立野3丁目[1]の長生家に生まれる[3]高等小学校を卒業[1]。紙卸商・中島家2代、先代徳太郎の養子となり、1922年(大正11年)養父の死去に伴い家督を相続し徳太郎を襲名した[3]。和洋紙卸商を営む[3]

1925年(大正14年)以降、加賀製紙社長、中島商店社長、石川県農業社長、北國銀行取締役、北國新聞社監査役、北陸鉄道取締役、北陸倉庫取締役、倉庫精練取締役、金沢商業会議所議員、金沢商工会議所会頭(1929年から10年間在任)、石川県商工団体連合会会長、日本放送協会評議員などを務めた[1][2][3]

1939年(昭和14年)補欠選挙で貴族院多額納税者議員に互選され[4]、同年8月28日から[5]1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[1][2]。この間、研究会に所属して活動した[2]

1951年(昭和26年)、金沢市文化賞を受賞[6][7]

その他、真宗大谷派本願寺大總講頭や、同派金沢別院の役職なども務めた[1]

金沢市立図書館の建設に際し、8万円の寄付を行った[8]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『石川県人名事典 現代編 3』129頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』212頁。
  3. ^ a b c d e 『人事興信録』第14版 下、ナ47頁。
  4. ^ 『貴族院要覧(丙)』46頁。
  5. ^ 『官報』第3795号、昭和14年8月29日。
  6. ^ 文化賞|金沢市公式ホームページ いいね金沢”. www4.city.kanazawa.lg.jp. 2024年6月14日閲覧。
  7. ^ 石川県史 現代篇 第3』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  8. ^ 石川県教育史 第2巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録』第14版 下、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 片桐慶子編『石川県人名事典 現代編 3』石川出版社、1993年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。