中山道源
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中山 道源 | |
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生誕 |
1887年2月12日 日本 広島県庄原市西城町 |
死没 |
1979年11月8日(92歳没) 日本 広島県広島市 |
所属組織 | 大日本帝国海軍 |
最終階級 | 海軍少将 |
中山 道源(なかやま つねもと、1887年(明治20年)2月12日 - 1979年(昭和54年)11月8日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。
経歴
[編集]- 1887年(明治20年)2月12日、広島県奴可郡西城村(現:広島県庄原市西城町)真宗大谷派 蓮照寺の長男として生まれる。
- 1909年(明治42年)11月19日、海軍兵学校(37期)卒業後、海軍少尉候補生として巡洋艦宗谷乗組。
- 1910年(明治43年)
- 1911年(明治44年)12月20日、砲術校普通科学生。
- 1912年(明治45年)4月24日、水雷校普通科学生。
- 1912年(大正元年)
- 1913年(大正2年)
- 1915年(大正4年)
- 1916年(大正5年)
- 1917年(大正6年)
- 1918年(大正7年)
- 1919年(大正8年)
- 4月18日、海軍兵学校教官/監事。
- 12月1日、海軍兵学校教官/副官。
- 1920年(大正9年)12月1日、海軍大学校甲種学生(20期)。
- 1921年(大正10年)12月1日、海軍少佐。
- 1922年(大正11年)12月1日、横須賀海兵団分隊長/教官。
- 1923年(大正12年)8月13日、横須賀鎮守府参謀。
- 1924年(大正13年)12月1日、皇族附武官(朝融王附)/戦艦山城乗組。
- 1925年(大正14年)
- 1926年(大正15年)12月1日、横須賀鎮守府附。
- 1927年(昭和2年)12月1日、巡洋艦球磨副長。
- 1928年(昭和3年)12月10日、横須賀鎮守府附。
- 1929年(昭和4年)2月1日、練習艦隊参謀。
- 1930年(昭和5年)
- 1932年(昭和7年)
- 1934年11月15日、重巡洋艦羽黒艦長。
- 1935年(昭和10年)11月15日、呉防備隊司令。
- 1936年(昭和11年)
- 1938年(昭和13年)3月11日、艦政本部総務部業務嘱託。
- 1940年(昭和15年)
- 2月21日、艦政本部総務部業務嘱託/海軍大学校教務嘱託。
- 12月27日、艦政本部総務業務/海軍大学校調査事務嘱託/海軍省事務嘱託。
- 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定[1]。
- 1979年(昭和54年)11月8日、広島市内の自宅にて歿、92歳。
受章歴
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人物像
[編集]- 名前の読みについては「どうげん」あるいは「みちもと」と読まれることが多いが、正確には「つねもと」である。
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体裁調整
[編集]- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」54頁。