中山あい子
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中山 あい子 (なかやま あいこ) | |
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ペンネーム | 中山 あい子(なかやま あいこ) |
誕生 |
中山 愛子(なかやま あいこ) 1923年(大正12年)1月9日 日本・東京府(現・東京都) |
死没 |
2000年5月1日(77歳没) 日本 |
職業 | 小説家 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
活動期間 | 1963年 - 1997年 |
主な受賞歴 | 第1回小説現代新人賞(1963年) |
配偶者 | あり(死別) |
子供 | 中山マリ(長女:女優) |
中山 あい子(なかやま あいこ、1923年(大正12年)[要出典][1][2]1月9日 - 2000年(平成12年)5月1日)は東京府(現・東京都)出身の小説家。本名、中山 愛子。
経歴
[編集]長崎の活水女学院を卒業後、結婚したが夫の戦死に遭い、一児(のちの女優中山マリ(燐光群))を抱えて寡婦となる。このため住み込みの英文タイピストとしてイギリス大使館に16年間勤務。退職後は東京神田の貸しビルに住み込み管理人として勤める[3]。その傍ら、『女流』『炎』などの同人誌に小説を発表。1963年(昭和38年)、『優しい女』で『小説現代』の第1回小説現代新人賞を受賞して文壇に登場。『奥山相姦』『幻の娼婦たち』などを発表し、色川武大から「女流の焼跡闇市派」と賞賛される。
3年にわたる闘病の末[4]、心筋梗塞のため死去。享年78。 献体の登録をしており葬儀はされなかった[5]。
著書
[編集]- 奥山相姦(講談社 1971年)
- 異常の季節(実業之日本社 1971年 (ホリデー新書))
- おんなの地図(青樹社 1972年)
- 無邪気な娼婦(桃園書房 1972年)
- 年上の女たち(光風社書店 1972年)
- 旅の終りのかもめ鳥(光風社書店 1973年)
- 漂泊のおんなみち(講談社 1973年)
- 妻たちの午後(光風社書店 1974年)
- 異父姉妹(平安書店 1974年)
- 昭和娼婦伝(現代企画室 1974年)
- 春の岬(講談社 1975年 のち文庫)
- 女たちの挽歌(光風社書店 1975年)
- 熱い道(双葉新書 1975年)
- 紅椿無惨(唐人お吉 徳間書店 1975年 のち講談社文庫)
- 愛は虚しいか(光風社書店 1976年)
- 甘い脅迫(光風社書店 1976年)
- 変な離婚(女の歳時記 青樹社 1976年)
- 未亡人学校(光風社書店 1977年)
- 生き方なんか知らないよ 面白いなあ、女の人生(じゃこめてい出版 1977年4月 「男の見つめ方」光文社文庫)
- 女が殺意をいだくとき(山手書房 1977年12月 のち光文社文庫)
- 恋舞台 江戸文学の女たち(鎌倉書房 1978年5月 のち光文社文庫)
- 渇いた花(双葉新書 1979年3月)
- 妻が嘲う時(スポニチ出版 1980年4月)
- したたかな欲望(泰流社 1980年4月)
- 阿修羅(角川書店 1980年5月)
- 18歳の湖 実感フレッシュギャル小説(主婦と生活社 1980年7月 (21世紀ノベルス))
- 地獄花 赤根沢長者窪(講談社 1980年9月)
- けたたましい仲(泰流ノベルス 1980年11月)
- 水割りおかわり(講談社 1981年2月 のち文庫)
- 今日もいい気分で(海竜社 1983年12月 のち光文社文庫)
- あい子のさわやか向老学(海竜社 1985年7月)
- 面白くつき合う女の子の本 マジメだけでは楽しく生きられない(青春出版社 1986年9月 (プレイブックス))
- あい子の自由自在 少女も老女もいい気分(1987年10月 (光文社文庫))
- 私の東京物語(海竜社 1988年5月)
- 女と株 中山あい子の株式エッセイ(世界文化社 1988年1月)
- 散歩するねこ サンリオ(1988年7月 (サンリオ創作絵本シリーズ))
- 中山あい子自選小説集 1巻 - 2巻(砂子屋書房 1989年9月)
- 老いてこそ今日を輝いて(海竜社 1992年11月)
- 浅き夢 新宿「まえだ」物語(講談社 1997年4月)
- 共編
テレビ番組
[編集]- ライオンのいただきます(フジテレビ)
- ごきげんよう(フジテレビ)
- 一枚の写真(フジテレビ)
脚注・出典
[編集]参考文献
[編集]- 佐藤愛子「大人物 中山あい子」『不敵雑記 たしなみなし』集英社、2001年11月、215-218頁。ISBN 978-4087745610。
関連項目
[編集]外部リンク
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