中小路宗則
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中小路 宗則(なかこうじ むねのり、生年不明 - 916年(延喜16年))は、平安時代前期の貴族。
生涯
[編集]中小路家の家祖で、菅原氏の一族とされる。宗則は菅原道真が太宰府に左遷された際に従い、903年(延喜3年)に道真が没した後は京都に戻り、道真から与えられた木像を現在の長岡京市に祠として建立し、後に長岡天満宮として創建した[1]。
916年(延喜16年)、死去。宗則の没後、中小路家は長岡天満宮の神主を代々の当主が務めており、長岡天満宮の境内には宗則の末裔である中小路宗城と中小路宗康の銅像が建立されている[2]。
脚注
[編集]- ^ “長岡天満宮(京都府)”. 日本金属屋根協会. 2023年11月27日閲覧。
- ^ “長岡天満宮”. 白浜法律事務所. 2023年11月27日閲覧。