コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

中央アフリカ共和国内戦 (2012年-現在)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中央アフリカ共和国内戦 (2012年-現在)
中央アフリカ共和国の紛争現況
中央アフリカ共和国の紛争現況
2012年12月10日 – 現在
(11年10ヶ月3週2日間)
場所中央アフリカ共和国
結果

進行中

衝突した勢力

FPRC
UPC
MPC
MLCJ
MNLC


3R
RJ
中央アフリカ共和国の旗 中央アフリカ共和国
ロシアの旗 ロシア
(2018年–現在)
MINUSCA
(2014年–現在)
MISCA
(2013年-14年)

フランスの旗 フランス
(2013–present)
南アフリカ共和国の旗 南アフリカ
(2012年-現在)
中華民国の旗 台湾

指揮官
ヌールディン・アダム
ジョゼフ・ズンデイコ [6]
アリ・ダラッサ
Mahamat al-Khatim
Toumou Deya Gilbert
ミシェル・ジョトディア 降伏(2013年-14年)

フォースタン=アルシャンジュ・トゥアデラ
(2016年以降)
カトリーヌ・サンバ=パンザ
(2014年-16年)
フランソワ・ボジゼ
(2012年–13年)
ウラジーミル・プーチン パルフェ・オナンガ=アニャンガ
エマニュエル・マクロン
(2017年以降)
フランソワ・オランド
(2013年-17年)
シリル・ラマポーザ
(2018年以降)
ジェイコブ・ズマ
(2012年-18年)

レヴィ・ヤケテ
Patrice Edouard Ngaissona
Richard Bejouane
Sebastien Wenezoui
Joachim Kokate
Aaron Levesque
戦力
3,000 (セレカ主張)[7]
1,000–2,000 (第三者推計)[8]
3,500[8]
ワグナー・グループ:1,200
MINUSCA: 13,000[9]
2,000[10]
200[11]
ECCAS: 3,500+ 平和維持軍[7][10]
コンゴ民主共和国: 1,000
コンゴ共和国: 769[12]
モーリタニアの旗 モーリタニア: 140 (憲兵)[13]
ポルトガルの旗 ポルトガル: 180 (主に空挺兵)[14]
ジョージア: 140[15]
アフリカ連合: 6,000[10]
50,000[16]-72,000[17]
被害者数
反乱軍犠牲者500名以上 (バンギのみ。南アフリカによる。) 死者・捕虜ともに不明
警官1名死亡
兵士15名死亡[18]
兵士3名死亡
兵士2名死亡[19]
兵士3名死亡
兵士1名死亡
53
民間人被害者:
死傷者数不明
国内難民200,000名、国外難民20,000名 (2013年8月)[20]
国内難民700,000名; 国外難民+288,000名 (2014年2月)[21]
「合計数千名死亡」[22]
5,186名以上死亡 (2014年9月まで)[23]

中央アフリカ共和国内戦 (2012年-現在)は、中央アフリカ共和国で2012年に始まった内戦。反政府武装勢力CPSK-CPJP-UFDRの連合体であるセレカ(Séléka)とキリスト教系武装組織アンチ・バラカ英語版Anti-balaka)と中央アフリカ共和国政府の間で抗争[24]となっている。

概要

[編集]

ブッシュ戦争と言われる2004年-2007年の内戦では、チャドイドリス・デビ大統領の支援を受けたフランソワ・ボジゼ大統領政権が中央アフリカ共和国北東部で反乱軍を制圧し2007年には和平合意が実現した。その後、セレカと呼ばれる武装勢力[25]などの様々な反政府連合勢力が ボジゼ政権が和平合意を破棄[24]し2012年末に多くの町を軍事掌握したとして紛争が起こった。2013年3月に首都バンギを制圧[26]、セレカ主導者ミシェル・ジョトディアが自ら暫定大統領に就任[27]軍事政権を樹立。ジョトディア政権下でもセレカとアンチバラカなど他の武装集団との紛争は続き[28]、9月にはジョトディア大統領がセレカ解散を宣言するものの求心力のない武装手段の活動は続き、2014年1月にジョトディア大統領が辞任[29][30]。評議会内の選挙によりカトリーヌ・サンバ=パンザが大統領に選出[31][32]された。2014年7月に元セレカの集団とアンチバラカの代表がブラザヴィルにて停戦合意[33]した。

2014年末までに、中央アフリカ共和国は事実上、ほとんどのイスラム教徒が脱出しアンチバラカが支配する南部と西部と、元セレカ集団の支配する北部と東部に分割統治されていた[34]。ほとんどの緊張状態はイスラム教系のセレカ兵士とキリスト教系アンチバラカ間の宗教的主張よるものだった。元セレカ派閥間や民族文化的差異など、主にアンチバラカ派からなる農本主義者たちと、元セレカ兵士からなる遊牧民たちの間の歴史的敵視も対立要素であった[35]。約500万人の人口を持つこの国で、110万人以上が国内外で難民となり、この国史上最大の記録的な規模となった[36]

2017年5月から武装集団の間で激しい戦闘が起きており、殺害や窃盗、略奪、誘拐などが多発している。[37]

2007年6月、中央アフリカ共和国北部での武装軍

残虐行為

[編集]

宗教洗浄

[編集]

バンギと中央アフリカ共和国西部にて、アンチバラカによって専ら元セレカ兵だけに対し行われた武装解除は、無意識にイスラム教徒の強制移住を引き起こしたという論争がある[34]ルワンダ虐殺と比較されたり[38]ボスニアの虐殺などと同様に人々は近隣が宗教的にクリーンな地区に植民しがちという指摘がある。セレカが首都立てこもりの際も、バンギのPK5地区ではグラ[39]のようなセレカに近い民族集団が攻撃された。2014年にはアムネスティ・インターナショナルがアンチバラカがムスリム市民に対し何度かの虐殺をはたらいたと報告している[40]他の情報源では、イスラム教徒は食人の対象となったとも言われる[41][42]

2014年4月10日にMISCA軍は1,000人以上のイスラム教徒をチャドに避難させるのに警察と共に護衛した際には「ボサンゴアに一人のイスラム教徒も残さなかった」と言われている[43]。多くの緊張は主に反バラカ派からなる農本主義者と、主にセレカ戦士からなる遊牧民の間の歴史的な敵意にも根ざしている[35]。2015年には、アメリカ合衆国の国連大使サマンサ・パワーは国内の436ヶ所のモスクのうち417ヶ所が破壊され、イスラム教徒の女性は公に外出することも恐れ、病院ではなく自宅で出産していると発言した[44]

民族的暴力

[編集]

元セレカ派軍事集団FPRCとUPCの間の戦闘では、民族的暴力が行われている。FPRCは主にUPCを構成するフラニ族を標的にし、UPCは主にFPRCを構成するカラ族(グラ族)とアイキ族(ルンガ族)をFPRCシンパとして標的にしている[9]オート・コト州の州都ブリアで行われた2016年11月の戦闘では、FPRCはフラニ族に対し1軒ごとに探索、略奪、誘拐、殺戮における標的としたと報道された[45]。2019年にも北東地域における、カラ族中心のMLCJとルンガ族中心のFPRC間での大規模な戦闘で、カラ族の大量殺戮があったと報道されている[46]

犠牲者

[編集]

難民

[編集]

2014年5月には、中央アフリカ共和国では約60万人が国内で難民となり、そのうち16万人が首都バンギにいるという報告がなされた。バンギのイスラム系人口は13.8万人から900人と99%減少している[34]。また2014年5月までに10万人が隣国のカメルーンコンゴ民主共和国チャドに脱出した[47]。2017年現在、約500万人の人口を持つこの国で、110万人以上が国内外で難民となり、この国史上最大の記録的な規模となった [36]。約50万人が国外へ、約60万人が国内で難民となっている[48]とされる。カメルーンは13.5万人を受け入れ、うち90%がフラニ族(中央アフリカ共和国のフラニ族の民族構成は6%のみにもかかわらず)であった[49]。2017年時点では、難民だけで51万人となった[50]

国際社会の反応

[編集]

団体・組織

[編集]
難民であふれる難民キャンプ前のルワンダ兵
  • アフリカ連合ヤイ・ボニ総会議長(当時)はバンギの記者会見にて「宗教的で同志よ、敵対行為をやめてボジゼ大統領と中央アフリカ国民と和平合意をしてほしい。停戦するならアフリカの平和に貢献できる。アフリカの人々はこのような苦難にふさわしくない。アフリカ大陸には戦争ではなく平和が必要だ」と語った[51]。ボニ議長は現政権と反乱軍の対話を呼びかけた[51]。アフリカ連合は2013年3月25日をもって加盟国[52]から追放した。
  • 欧州連合の旗 欧州連合 ; 2012年12月21日に欧州連合外務・安全保障政策上級代表キャサリン・アシュトンに対し敵対行為を停止しリーブルヴィル和平合意を遵守するよう呼びかけた。欧州連合危機管理上級代表クリスティーナ・ジョージエヴァは中央アフリカ共和国の状況を大変憂慮し、全ての武装集団が国際的な人道的法律を遵守し人道的行為を尊重するよう強く求めると発言した[53]。アシュトン上級代表はさらに、平和的対話を通じてバンギ市民に対する強要行為を即刻中止し、すべての軍事行動を停止するため万難を廃するように求めた[54]
    • 2014年2月には欧州連合はバンギ地域の安全を確保するため暫時的な支援を提供するため「EUFOR RCA(European Union Military Operation in the Central African Republic)」という作戦を開始。フランスのフィリップ・ポンチエ少将が総司令官として任命された[55]
  • 国際連合の旗 国際連合 ; 2012年12月には国際連合は状況悪化に鑑み中央アフリカ共和国から全ての非必須職員を退去させると発表した。潘基文事務総長は、反政府武装勢力の行動を非難し、「潜在的に和平合意に重大な影響を与える」と警告した。中央アフリカ政府に対しては、国内の全ての国連職員の安全を保障するように呼びかけた[56][57]。2020年1月には安全保障理事会にて2020年7月31日まで中央アフリカ共和国に対する軍需製品の禁輸措置を延長することを承認した[58]。また、国内外で避難生活を送る中央アフリカの難民、国内避難民を支援をするため、UNHCRは2017年に2億900万米ドルを要請しているが、ほとんど集まっていない。

各国

[編集]
近傍地域
近傍地域以外
  • ブラジルの旗 ブラジル – 2012年12月、ブラジル外務省は「関係諸派は敵対的行為と民間人向けのすべての暴力を直ちに中止するよう要請する」との声明を発表し、「中央アフリカ共和国における法制度の再構築」を呼びかけた。ブラジル政府は中央アフリカ国内在住の少数の同国籍住民との連携をとっていると明らかにしていた[61]
  • エストニアの旗 エストニア – 2014年5月に欧州連合EUFOR RCA軍に参加のため55名派兵[62]
  • ジョージア (国)の旗 ジョージア – 欧州連合の軍事活動に兵士140名を派兵[15]
  • フランスの旗 フランス – 2012年12月、フランソワ・ボジゼ中央アフリカ共和国大統領は抵抗勢力への対処について、特にフランスとアメリカ合衆国に向け、国際援助を依頼。フランスのオランド大統領は依頼を拒否、バンギ・ムポコ国際空港に駐在中の兵士250名は内政干渉を行なわないと発言した。それとは別に外務大臣は「軍事集団によって継続している敵対行為」を非難、対話を通じての解決を求めた[63]
  • ロシアの旗 ロシア  - 2018年ごろより民間軍事会社ワグネル・グループの人員を派遣して軍事支援やインフラ整備を行い、フランス軍の撤退後も支援を続けた。しかしこの活動には関連企業のディアムヴィル社を隠れ蓑としたダイヤモンド鉱山採掘など資源の横領や、国連軍の介入拒否、戦争犯罪への関与など複数の問題が確認されている[64][65][66][67]。また、それらを調査したロシアのジャーナリストを死亡させた疑い[68]もある。
  • 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ – 南アフリカは中央アフリカ共和国に対し2007年より軍事的に支援している。特殊部隊旅団がボジゼ大統領を護衛していた[69]。2012年12月には国防大臣がバンギに出向き状況を把握[70]。2013年1月には南アフリカ国防軍(SANDF)がズマ大統領が承認した数の半数の兵士200名を追加派兵した[71]。ボジゼ大統領が3月にズマ大統領との会見のためプレトリアに出張し[72]、72時間の最後通牒について討議したとのこと[73]。南アフリカ軍はセレカ侵攻に対する護衛の際に損害を被った[74]が、2013年には南アフリカ軍は、中央アフリカ共和国のセレカからの奪還を確認したとしてウガンダエンテベ空軍基地に撤退を開始した[75]
  • アメリカ合衆国の旗 アメリカ – 2012年12月、アメリカ合衆国国務省の海外安全保障評議会は、エムベスの武装集団について在住の米国民に対して緊急の警告を発表し、バンギ域外への移動を自粛するよう要請した。アメリカ大使館員については首都から出ることを禁じた[76]。12月24日には国務省は追加の警告を発信。最小限のスタッフ以外は全員国外へ避難し、大使館は限定機能のみの運営に移行した[77]。12月28日には、反政府派の攻撃により在バンギの大使館を閉鎖[78]し、ウォーラー大使と館員は国外へ退去した[79]
  • セルビアの旗 セルビア – 国連安全保障理事会決議2149に従い、セルビア政府はセルビア軍の派兵を決定。2014年9月、軍事巡視員2名とスタッフ2名を派遣、その後12月に68名をさらに作戦に参加させた。2016年12月、セルビアは緊急医療支援チームをEUTM RCA(EU訓練軍)の一部として参加させた[80][81]

関連項目

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ UN: Chad soldiers killed 30 in CAR”. 13 April 2014時点のオリジナルよりアーカイブ13 June 2014閲覧。
  2. ^ Sudan paramilitary funnelling weapons into Central African Republic, UN report reveals” (9 August 2019). 2020年8月31日閲覧。
  3. ^ Looting and gunfire in captured CAR capital Archived 24 March 2013 at the Wayback Machine.. Al Jazeera.com (25 March 2013). Retrieved 17 April 2013.
  4. ^ 26 villagers killed by militants in Central African Republic Archived 23 November 2015 at the Wayback Machine.. NewsGhana.com.gh (22 November 2015). Retrieved 22 November 2015.
  5. ^ Central African rebel leader declares autonomous republic Archived 11 October 2017 at the Wayback Machine.. Reuters (15 December 2015). Retrieved 15 December 2015.
  6. ^ “CAR crisis: Meeting the rebel army chief”. BBC News. (29 July 2014). オリジナルの28 September 2018時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180928164704/https://www.bbc.co.uk/news/world-africa-28526362 
  7. ^ a b “Central African Republic president says ready to share power with rebels”. Reuters. (2012年12月30日). https://www.reuters.com/article/us-car-rebels/central-african-republic-president-says-ready-to-share-power-with-rebels-idUSBRE8BT03M20121230 
  8. ^ a b "Seleka, Central Africa's motley rebel coalition" Archived 13 September 2014 at the Wayback Machine., Radio Netherlands Worldwide
  9. ^ a b Central African Republic: What's gone wrong?”. IRIN (24 February 2017). 26 February 2017閲覧。
  10. ^ a b c More military help sought by UN to protect CAR civilians”. The Africa News.Net. 9 July 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。22 February 2014閲覧。
  11. ^ Zille warns of 'CAR scandal'”. 10 December 2013時点のオリジナルよりアーカイブ4 November 2013閲覧。
  12. ^ Congo peacekeepers accused of sex abuse to leave CAR Archived 20 January 2019 at the Wayback Machine.. Al Jazeera. 21 June 2017.
  13. ^ Mauritanian gendarmerie contingent leaves for Central African Republic Archived 7 April 2019 at the Wayback Machine.. PanaPress. Published 3 March 2019.
  14. ^ Portugal paratroopers counter armed groups around Bambari, CAR” (21 January 2019). 16 February 2019時点のオリジナルよりアーカイブ16 February 2019閲覧。
  15. ^ a b Civil.Ge – Georgian Troops Heading to EU Mission in Central African Republic”. 1 July 2014時点のオリジナルよりアーカイブ7 June 2014閲覧。
  16. ^ Archived copy”. 4 August 2016時点のオリジナルよりアーカイブ1 June 2016閲覧。
  17. ^ Conflict Observer Project | Central African Republic: Roots of the Conflict and Actors”. Cscubb.ro (2014年10月29日). 25 June 2016時点のオリジナルよりアーカイブ2018年3月18日閲覧。
  18. ^ “CAR battle claims another SANDF soldier”. Enca (South Africa). オリジナルの3 February 2016時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160203201803/https://www.enca.com/south-africa/car-sandf-death-toll-rises 27 January 2016閲覧。 
  19. ^ [1] Archived 22 May 2014 at the Wayback Machine. Radio France Internationale, Hollande discusses DRC presence in CAR with Kabila, 21 May 2014
  20. ^ CrisisWatch Database”. 5 July 2016時点のオリジナルよりアーカイブ。21 October 2013閲覧。
  21. ^ Casey-Maslen, Stuart (2014). The War Report: Armed Conflict in 2013. Oxford University Press. p. 411. ISBN 978-0-19-103764-1 
  22. ^ Massacre evidence found in CAR Archived 14 November 2013 at the Wayback Machine. Al Jazeera. 8 November 2013.
  23. ^ AP: More than 5,000 dead in C. African Republic”. AP Bigstory. 25 December 2014時点のオリジナルよりアーカイブ25 December 2014閲覧。
  24. ^ a b Uppsala Conflict Data Program Conflict Encyclopedia, Central African Republic, In depth: The Seleka Rebellion, viewed 16 May 2013, http://www.ucdp.uu.se/gpdatabase/gpcountry.php?id=31&regionSelect=2-Southern_Africa# Archived 12 December 2013 at the Wayback Machine.
  25. ^ Séléka rebels agree on unconditional talks”. CAR govt. (29 December 2012). 24 January 2015時点のオリジナルよりアーカイブ30 December 2012閲覧。
  26. ^ Zuma joins regional leaders over crisis in Central African Republic, BDay Live, by Nicholas Kotch, 19 April 2013, 07:50, http://www.bdlive.co.za/africa/africannews/2013/04/19/zuma-joins-regional-leaders-over-crisis-in-central-african-republic Archived 21 April 2013 at the Wayback Machine.
  27. ^ Centrafrique: Michel Djotodia déclare être le nouveau président de la république centrafricaine” (French). Radio France International (24 March 2013). 24 March 2013時点のオリジナルよりアーカイブ24 March 2013閲覧。
  28. ^ Archived copy”. 20 September 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。20 September 2013閲覧。
  29. ^ “Central African Republic president, PM resign at summit: statement”. Reuters. (10 January 2014). オリジナルの13 October 2015時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20151013022708/http://www.reuters.com/article/2014/01/10/us-centralafrican-djotodia-idUSBREA090GT20140110 2014年1月10日閲覧。 
  30. ^ CAR president Djotodia and PM Tiangaye resign”. RFI (10 January 2014). 11 January 2014時点のオリジナルよりアーカイブ13 January 2014閲覧。
  31. ^ RFI (20 January 2014). “Centrafrique: Catherine Samba-Panza élue présidente de la transition”. RFI. 21 January 2014時点のオリジナルよりアーカイブ20 January 2014閲覧。
  32. ^ New CAR PM says ending atrocities is priority”. Al Jazeera. 5 February 2015時点のオリジナルよりアーカイブ28 January 2014閲覧。
  33. ^ "RCA: signature d’un accord de cessez-le-feu à Brazzaville Archived 29 July 2014 at the Wayback Machine.". VOA. 24 July 2014. Retrieved 28 July 2014.
  34. ^ a b c One day we will start a big war”. Foreign Policy. 5 February 2017時点のオリジナルよりアーカイブ13 February 2017閲覧。
  35. ^ a b Displaced and forgotten in Central African Republic”. Al Jazeera. 15 February 2017時点のオリジナルよりアーカイブ14 February 2017閲覧。
  36. ^ a b “Concert Blast Shows Central African Republic Religious Rift”. Bloomberg. (21 November 2017). オリジナルの1 December 2017時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20171201030757/https://www.bloomberg.com/news/articles/2017-11-22/blast-at-concert-shows-central-african-republic-s-religious-rift 26 November 2017閲覧。 
  37. ^ 中央アフリカからの難民が記録的な多さに、支援金は最少”. UNHCR 日本. 2024年3月19日閲覧。
  38. ^ Deep divisions as CAR violence continues”. Al Jazeera (2014年1月20日). 9 February 2014時点のオリジナルよりアーカイブ2014年2月6日閲覧。
  39. ^ Sayare, Scott (2 January 2013). “Central Africa on the Brink, Rebels Halt Their Advance”. The New York Times. オリジナルの6 May 2017時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170506002828/http://www.nytimes.com/2013/01/03/world/africa/central-africa-on-the-brink-rebels-halt-their-advance.html 26 February 2017閲覧。 
  40. ^ Christian threats force Muslim convoy to turn back in CAR exodus”. the Guardian. 2 February 2017時点のオリジナルよりアーカイブ11 December 2016閲覧。
  41. ^ Hatred turns into Cannibalism in CAR”. Centre for African news. 10 January 2015時点のオリジナルよりアーカイブ5 December 2014閲覧。
  42. ^ Insight – Gold, diamonds feed Central African religious violence”. 30 October 2014時点のオリジナルよりアーカイブ5 December 2014閲覧。
  43. ^ African troops help Muslims flee CAR”. 11 May 2014時点のオリジナルよりアーカイブ13 June 2014閲覧。
  44. ^ Almost all 436 Central African Republic mosques destroyed: U.S. diplomat”. 2020年8月31日閲覧。
  45. ^ “Mass killings as rebels target ethnic Fulanis in Central African Republic”. The guardian. (26 November 2016). オリジナルの6 March 2017時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170306040800/https://www.theguardian.com/world/2016/nov/26/mass-killings-as-rebels-target-ethnic-fulanis-in-central-african-republic 5 March 2017閲覧。 
  46. ^ “Briefing: In Central African Republic, rebels fight on as peace deal falters”. The New Humanitarian. (4 November 2019). https://www.thenewhumanitarian.org/news/2019/11/04/Central-African-Republic-rebels-fight-peace-deal 17 December 2019閲覧。 
  47. ^ The war across the river”. 16 May 2014時点のオリジナルよりアーカイブ13 June 2014閲覧。
  48. ^ Fresh violence in Central African Republic leads to more displaced”. United Nations. 29 November 2017時点のオリジナルよりアーカイブ26 November 2017閲覧。
  49. ^ HRW the unravelling – Journey through the Central African Republic crisis”. Human Rights Watch. 19 January 2017時点のオリジナルよりアーカイブ5 March 2017閲覧。
  50. ^ 中央アフリカからの難民が記録的な多さに、支援金は最少”. UNHCR 日本. 2024年3月19日閲覧。
  51. ^ a b Marboua, Hippolyte (30 December 2012). “African Union Head Visits Central African Republic”. ABC News. オリジナルの31 December 2012時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121231054159/https://abcnews.go.com/International/wireStory/french-troops-central-african-republic-18094338#.UOD-7W-1XDQ 31 December 2012閲覧。 
  52. ^ Dixon, Robyn (25 March 2013). “African Union suspends Central African Republic after coup”. Los Angeles Times. オリジナルの26 March 2013時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130326065116/http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-central-african-republic-20130326,0,4175896.story 26 March 2013閲覧。 
  53. ^ Giannoulis, Karafillis (24 December 2012). “Central Africa: EU worries on the new outbreak”. New Europe. 26 December 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。26 December 2012閲覧。
  54. ^ "EU Urges Talks in Central African Republic" Archived 7 January 2013 at the Wayback Machine.. RIA Novosti
  55. ^ EUFOR RCA”. European Union External Action. European Union. 27 February 2014時点のオリジナルよりアーカイブ21 February 2014閲覧。
  56. ^ Ngoupana, Paul-Marin (26 December 2012). “Central African Republic wants French help as rebels close in on capital”. Reuters. オリジナルの28 January 2013時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130128191802/http://ca.reuters.com/article/topNews/idCABRE8BP09X20121226 26 December 2012閲覧。 
  57. ^ “UN chief slams attacks on towns in Central African Republic”. Press TV. (27 December 2012). オリジナルの27 December 2012時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121227163700/http://presstv.com/detail/2012/12/27/280303/un-chief-slams-attacks-on-car-towns/ 28 December 2012閲覧。 
  58. ^ Russia obtains ease on C.Africa arms embargo at UN Security Council by Philippe RATER, AFP, 31 January 2020
  59. ^ google.com/hostednews Archived 27 February 2014 at the Wayback Machine.
  60. ^ CAR key players”. 5 December 2013時点のオリジナルよりアーカイブ5 December 2013閲覧。
  61. ^ Ministério das Relações Exteriores”. 9 February 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。5 December 2014閲覧。
  62. ^ (9 May 2014) Estonian Troops Leave for Central African Republic Archived 11 May 2014 at the Wayback Machine. news.err.ee (Estonian Public Broadcasting). Retrieved 10 May 2014
  63. ^ CAR leader appeals for help to halt rebel advance”. The Daily Star Newspaper – Lebanon. 28 December 2012時点のオリジナルよりアーカイブ28 December 2012閲覧。
  64. ^ “US engages in strategy to remove Wagner Group from Africa” (英語). Le Monde.fr. (2023年2月20日). https://www.lemonde.fr/en/international/article/2023/02/20/us-seeks-to-strike-a-deal-in-strategy-to-remove-wagner-group-from-africa_6016597_4.html 2023年3月22日閲覧。 
  65. ^ ЧВК Вагнера заработает миллиард долларов на золоте в ЦАР, эти деньги пойдут на оружие — Politico” (ロシア語). The Insider (2023年1月20日). 2023年1月27日閲覧。
  66. ^ Banco, Erin (2023年1月19日). “U.S. cable: Russian paramilitary group set to get cash infusion from expanded African mine” (英語). POLITICO. 2023年1月27日閲覧。
  67. ^ Ward, Tim Lister,Sebastian Shukla,Clarissa (2021年6月15日). “'It was our children they killed'” (英語). CNN. 2023年1月27日閲覧。
  68. ^ “【プーチン帝国の謀略】(4)「許されざる取材」の記者3人、ロシアに消されたか”. 黒井文太郎 (JBPress). (2018年8月6日). http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/53745  2020年7月23日閲覧。 
  69. ^ RSA (1 March 2011). “Training and Support provided by the South African Army (SANDF) to the Army of the Central African Republic (CAR)”. International Relations and Cooperation. 30 March 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。28 March 2013閲覧。
  70. ^ Peter Fabricius (4 January 2013). “Shadow over foreign policy planning – IOL News”. Independent Online (South Africa). オリジナルの6 January 2013時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130106180825/http://www.iol.co.za/news/shadow-over-foreign-policy-planning-1.1447861 28 March 2013閲覧。 
  71. ^ IRIN (8 January 2013). “South Africa bolsters its troops in the Central African Republic”. IRIN. Johannesburg. http://www.irinnews.org/report.aspx?reportid=97194 28 March 2013閲覧。 
  72. ^ AFP (22 March 2013). “Afrique du Sud: le président centrafricain Bozizé reçu par Zuma”. Agence France-Presse. Pretoria. オリジナルの11 April 2013時点におけるアーカイブ。. https://archive.today/20130411021000/http://www.google.com/hostednews/afp/article/ALeqM5gmGngIwQX3YyA1ZGb-Wq6lNC8pAQ?docId=CNG.a001582fa2ac6c6e42cdc154447481db.c81 31 March 2013閲覧。 
  73. ^ Underhill, Glynnis; Mmanaledi Mataboge (28 March 2013). “CAR: Timely warnings were ignored”. Mail and Guardian. オリジナルの31 March 2013時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130331024150/http://mg.co.za/article/2013-03-28-00-car-timely-warnings-were-ignored 31 March 2013閲覧。 
  74. ^ Tochia, Christopher (27 March 2013). “Hard questions for South Africa over CAR battle”. Associated Press (Johannesburg). オリジナルの12 December 2013時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131212185418/http://hosted2.ap.org/OHCAN/CREPnewswire/Article_2013-03-27-South%20Africa-Central%20African%20Republic/id-4c9a45da48814017a637f223acd191b2 28 March 2013閲覧。 
  75. ^ Biryabarema, Elias (28 March 2013). “South Africa troops in Uganda for Central Africa mission”. Reuters. Kampala. オリジナルの30 March 2013時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130330082751/http://www.reuters.com/article/2013/03/28/us-centralafrica-rebels-idUSBRE92R0F420130328/ 28 March 2013閲覧。 
  76. ^ Bureau of Diplomatic Security. “Emergency Message for U.S. Citizens: Bangui (Central African Republic), Armed Group Movement”. Overseas Security Advisory Council. 29 October 2014時点のオリジナルよりアーカイブ31 March 2013閲覧。
  77. ^ Travel Warning: Central African Republic”. United States Department of State (24 December 2012). 29 December 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。26 December 2012閲覧。
  78. ^ Karikari-Apau, Nana (27 December 2012). “Central African Republic president seeks help against rebels”. CNN. オリジナルの28 December 2012時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121228214849/http://www.cnn.com/2012/12/27/world/africa/central-african-republic-unrest/index.html 28 December 2012閲覧。 
  79. ^ Lolita C. Baldor; Matthew Lee (27 December 2012). “AFRICOM helps with C. African Republic evacs”. Army Times. Associated Press. http://www.armytimes.com/mobile/news/2012/12/ap-america-out-central-african-republic-122712 29 December 2012閲覧。 
  80. ^ Official portal of the multinational operations of the Serbian Armed Forces” (2 March 2015). 2016年9月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月13日閲覧。
  81. ^ EUTM RCA- Serbian Armed Forces”. Official Portal of multinational missions (15 December 2016). 2017年7月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。30 June 2017閲覧。

外部リンク

[編集]