中塚古墳 (桐生市)
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中塚古墳 | |
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墳丘・石室開口部 | |
別名 | 新里村8号墳 |
所在地 | 群馬県桐生市新里町新川2593 |
位置 | 北緯36度25分24.30秒 東経139度14分39.22秒 / 北緯36.4234167度 東経139.2442278度座標: 北緯36度25分24.30秒 東経139度14分39.22秒 / 北緯36.4234167度 東経139.2442278度 |
形状 | 方墳 |
規模 | 一辺37m |
埋葬施設 | 両袖式横穴式石室(截石切組積み) |
築造時期 | 7世紀後半 |
被葬者 | (一説)新川臣一族 |
史跡 | 群馬県指定史跡「中塚古墳」 |
地図 |
中塚古墳(なかつかこふん)は、群馬県桐生市新里町新川にある古墳。形状は方墳。群馬県指定史跡に指定されている。
概要
[編集]群馬県東部、赤城山南東麓の丘陵上に築造された大型方墳である。
墳形は方形で、一辺約37メートルを測る[1]。墳丘外表では葺石が認められるほか、墳丘周囲には周濠が巡らされる。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南南東方向に開口する。截石切組積みによって構築された整美な石室として注目される。古くから開口したとみられ、石室内の副葬品は詳らかでない[2]。
築造時期は、古墳時代終末期の7世紀後半頃と推定される。被葬者は明らかでないが、地名から山ノ上碑(高崎市山名町、国の特別史跡)に見える「新川臣」の一族に比定する説が知られる[2][1]。
古墳域は1979年(昭和54年)に群馬県指定史跡に指定されている。
埋葬施設
[編集]埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南南東方向に開口する。石室の規模は次の通り[1]。
- 石室全長:7.67メートル
- 玄室:長さ4.16-4.28メートル、幅1.84メートル(奥壁)、高さ1.74メートル
- 羨道:長さ3.10-3.14メートル、幅1.31メートル
石室の石材は安山岩で、截石切組積みによって構築される。玄室と羨道の間は玄門で区切る。
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玄室(奥壁方向)
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玄室(開口部方向)
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玄門(玄室方向)
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羨道(開口部方向)
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羨道(玄室方向)
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開口部
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墳丘
文化財
[編集]群馬県指定文化財
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 史跡説明板(群馬県教育委員会・桐生市教育委員会、2017年設置)
- 「中塚古墳」『群馬県の地名』平凡社〈日本歴史地名大系10〉、1987年。ISBN 4582490107。
- 小島純一「中塚古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 天神古墳・中塚古墳・武井廃寺塔跡、中塚古墳 - 桐生市ホームページ