中塁令
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中塁令(ちゅうるいれい)は、古代中国の紀元前3世紀から紀元1世紀まで、前漢時代にあった官職である。旧字で中壘令。首都の警備にかかわる。
解説
[編集]前漢初期の制度は秦のものを受け継いでいるので、中塁令も秦代にあった可能性が高い
前漢の中塁令には次官として中塁丞がつき、また2人の中塁尉もいた[1]。中塁は、首都長安城内の兵士駐屯地であろう。
中尉の配下にあり、太初元年(紀元前104年)に武帝が中尉を執金吾と改称しても引き続きその下にあった。武帝の時代(紀元前141年 - 紀元前87年)に別に中塁校尉が置かれたが、それと中塁令の職務分担がどうなっていたかはわからない[2]。
脚注
[編集]- ^ 『漢書』巻19上、百官公卿表第7上。『『漢書』百官公卿表訳注』103頁。
- ^ 『『漢書』百官公卿表訳注』105頁注5。
- ^ 『続漢書』(『後漢書』に合わさる)百官志4、早稲田文庫『後漢書』志2の512頁。
参考文献
[編集]外部リンク
[編集]- 中央研究院・歴史語言研究所「漢籍電子文献資料庫」。