中原清
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中原 清(なかはら きよし、慶応元年4月23日(1865年5月17日) - 大正11年(1922年)1月3日[1])は、衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。
経歴
[編集]日向国那珂郡檍村(現在の宮崎県宮崎市)出身。1888年(明治21年)、明治法律学校(現在の明治大学)に入学して法学を学び、1890年(明治23年)に卒業した後は弁護士業務に従事した。1901年(明治34年)には宮崎県弁護士会長に選出された。
1899年(明治32年)、宮崎県会議員に当選し、さらに1902年(明治35年)の第7回衆議院議員総選挙に当選した。
脚注
[編集]- ^ 衆議院事務局『衆議院議員略歴 第一回乃至第二十回総選挙』、1940年
参考文献
[編集]- 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。