中元清吉
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中元 清吉(なかもと きよきち、1928年〈昭和3年〉5月3日 - 2024年〈令和6年〉3月8日)は、日本の政治家・実業家。元西宇和郡伊方町議会議員、元伊方町長。伊方町出身。
経歴
[編集]政治家となるまで
[編集]政治家として
[編集]- 1967年から1979年まで3期(旧)伊方町議会議員を務める。この間、1971年から1975年の間議長も歴任。また1974年から1975年まで愛媛県町村議会長、1974年には四国四県町村議会議長会長も歴任。
- 1979年 伊方町長選挙に立候補
- 1982年から1987年 愛媛県商工会連合会会長
- 1987年 再度町長選挙に立候補
- 1991年より(旧)伊方町長。同年の伊方町長選挙に当選、以降4期にわたり町長を務める。この間、1994年には西宇和郡町村会長、2004年には愛媛県町村会長も務めた。
- 新伊方町長選挙
- 2005年4月1日発足[1]に伴う初代町長選挙に立候補。2005年4月24日に行われた町長選挙では助役を務めていた畑中芳久に敗れた。[2]。
- 伊方町では建設業者がそれぞれの支援候補の選挙運動に深くかかわってきた経緯があり、この選挙では両陣営とも複数の逮捕者を出した。この経緯については畑中の記事を参照のこと。
- ほかにはクリエイト伊方代表取締役を務めた。
引退後
[編集]その他経歴
[編集]伊方町商工業協同組合理事長、伊方町商工会長、愛媛県商工会連合会会長、伊方町社会福祉協議会会長などの公職を務めた。
政策
[編集]- 商工業者としてのスタンスから、町議会議員から町長在任時を通して一貫して 四国電力伊方原子力発電所の誘致、稼働、地元との関係構築に尽力した。この功労で「電源立地促進功労者表彰」を受けている。
- また庁舎建設、漁港整備、その他社会基盤整備を図った。
- 町村合併への立ち位置
- 原子力発電所の立地による豊富な税収を背景に財政力を有していたため、町長としての任期末期に直面した平成の大合併では当時の愛媛県知事の加戸守行が県下全域で大規模合併を推し進めようとするのに対して、当地では機運が盛り上がらず、消極的な姿勢を見せた。西隣の瀬戸町が伊方町との合併意向を示し、やがてその西隣、愛媛県最西端の三崎町もこれに合流、最終的に3町での合併となった。形としては「新設合併」。当時の首長は以下のとおり。
参考文献
[編集]- 愛媛新聞社「愛媛県人物大辞典」p601(1987年1月発行)
- 愛媛新聞社「愛媛年鑑2009」p327-328
脚注
[編集]- ^ 新町発足から町長選出までの間の「職務執行者」には旧瀬戸町長の井上善一が就いた
- ^ 伊方町長選挙(2005/04/24投票)結果
- ^ “元伊方町長の中元清吉氏死去 95歳”. 愛媛新聞社 (2024年3月12日). 2024年3月21日閲覧。
- ^ 『官報』第1202号8頁 令和6年4月15日