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中上友三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中上 友三郎(なかがみ ともさぶろう、1881年2月[1] - 没年不詳)は、日本台湾裁判官

経歴

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中上代八郎の三男として福岡県に生まれる[1]。1900年福岡県中学修猷館[2]を経て、1907年7月京都帝国大学法科大学を卒業[3]

1909年判事に任じ[1]長崎地方裁判所判事を経て、台湾総督府法院に転じ、台北地方法院覆審法院、高等法院の判官を務める[4]長崎控訴院小倉区判事、同宮崎区監督判事、那覇地方裁判所部長判事、川内区裁判所判事を経て、1931年熊本区監督判事、長崎控訴院部長判事を歴任後、1934年2月退官し、福岡地方裁判所所属の公証人となる[1]

1940年11月、西南学院高等学部(現・西南学院大学)講師となる[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e 『人事興信録第13版』(人事興信所、1941年) ナ-22頁
  2. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員3頁
  3. ^ 『京都帝国大学一覧(從明治40年至明治41年)』(京都帝国大学、1908年)311頁
  4. ^ 『人事興信録第14版』(人事興信所、1943年) ナ-21頁