中上友三郎
表示
中上 友三郎(なかがみ ともさぶろう、1881年2月[1] - 没年不詳)は、日本、台湾の裁判官。
経歴
[編集]中上代八郎の三男として福岡県に生まれる[1]。1900年福岡県中学修猷館[2]を経て、1907年7月京都帝国大学法科大学を卒業[3]。
1909年判事に任じ[1]、長崎地方裁判所判事を経て、台湾総督府法院に転じ、台北地方法院、覆審法院、高等法院の判官を務める[4]。長崎控訴院小倉区判事、同宮崎区監督判事、那覇地方裁判所部長判事、川内区裁判所判事を経て、1931年熊本区監督判事、長崎控訴院部長判事を歴任後、1934年2月退官し、福岡地方裁判所所属の公証人となる[1]。
1940年11月、西南学院高等学部(現・西南学院大学)講師となる[1]。