世田米町
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せたまいまち 世田米町 | |
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世田米の蔵並 | |
廃止日 | 1955年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 世田米町、上有住村、下有住村 → 住田町 |
現在の自治体 | 住田町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 岩手県 |
郡 | 気仙郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 161.79 km2. |
総人口 |
6,960人 (『岩手県町村合併誌』、1955年2月) |
隣接自治体 |
気仙郡:上有住村、下有住村 東磐井郡:大原町、興田村 江刺郡:江刺町 大船渡市、陸前高田市、遠野市 |
世田米町役場 | |
所在地 | 岩手県気仙郡世田米町字世田米駅33 |
座標 | 北緯39度08分24秒 東経141度34分44秒 / 北緯39.14011度 東経141.57875度座標: 北緯39度08分24秒 東経141度34分44秒 / 北緯39.14011度 東経141.57875度 |
ウィキプロジェクト |
世田米町(せたまいまち)は、昭和30年(1955年)まで岩手県気仙郡に存在していた町。現在の住田町世田米にあたる。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行にともない、旧来の世田米村単独で村制施行。
- 1940年(昭和15年)4月29日 - 町制施行により、世田米町となる。
- 1947年(昭和22年)4月 - 世田米町立世田米中学校を創設(同町立世田米小学校内に併設)[1]。また、同中学大股分校を設置[1]。
- 1950年〈昭和25年) - 町立世田米中学校大股分校を廃止し、町立大股中学校として独立[1]。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 上有住村・下有住村と合併し、住田町となる。
行政
[編集]歴代村長
[編集]代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 泉田平松 | 明治22年(1889年)5月11日 | 明治26年(1893年)5月10日 | |
2 | 泉田健吉 | 明治26年(1893年)5月17日 | 明治30年(1897年)5月16日 | |
3 | 菅野大造 | 明治30年(1897年)6月2日 | 明治32年(1899年)5月22日 | |
4 | 泉田平右衛門 | 明治32年(1899年)6月13日 | 明治33年(1900年)2月24日 | |
5 | 山内春之助 | 明治33年(1900年)4月4日 | 明治34年(1901年)6月21日 | |
6 - 8 | 横沢忠蔵 | 明治34年(1901年)9月2日 | 大正2年(1913年)9月1日 | |
9 | 泉田健吉 | 大正2年(1913年)9月6日 | 大正4年(1915年)5月28日 | 再任 |
10 - 11 | 菅野大造 | 大正4年(1915年)8月25日 | 大正12年(1923年)8月24日 | 再任 |
12 | 泉田嘉右衛門 | 大正12年(1923年)10月29日 | 昭和2年(1927年)10月28日 | |
13 | 中里久七 | 昭和2年(1927年)10月29日 | 昭和4年(1929年)5月10日 | |
14 - 16 | 山内喜左衛門 | 昭和4年(1929年)7月6日 | 昭和14年(1939年)10月29日 | |
17 | 菅野伊太郎 | 昭和15年(1940年)1月11日 | 昭和15年(1940年)4月28日 |
歴代町長
[編集]代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 - 3 | 菅野伊太郎 | 昭和15年(1940年)4月29日 | 昭和21年(1946年)11月22日 | 村長より留任 |
4 - 5 | 菊池伊蔵 | 昭和22年(1947年)4月6日 | 昭和30年(1955年)3月31日 |
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『岩手県町村合併誌』(岩手県総務部地方課、1957年)