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世田米町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
世田米から転送)
せたまいまち
世田米町
世田米の蔵並
世田米の蔵並
廃止日 1955年4月1日
廃止理由 新設合併
世田米町上有住村下有住村住田町
現在の自治体 住田町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 岩手県
気仙郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 161.79 km2.
総人口 6,960
(『岩手県町村合併誌』、1955年2月)
隣接自治体 気仙郡上有住村下有住村
東磐井郡大原町興田村
江刺郡江刺町
大船渡市陸前高田市遠野市
世田米町役場
所在地 岩手県気仙郡世田米町字世田米駅33
座標 北緯39度08分24秒 東経141度34分44秒 / 北緯39.14011度 東経141.57875度 / 39.14011; 141.57875座標: 北緯39度08分24秒 東経141度34分44秒 / 北緯39.14011度 東経141.57875度 / 39.14011; 141.57875
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世田米町(せたまいまち)は、昭和30年(1955年)まで岩手県気仙郡に存在していた町。現在の住田町世田米にあたる。

沿革

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  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制施行にともない、旧来の世田米村単独で村制施行。
  • 1940年昭和15年)4月29日 - 町制施行により、世田米町となる。
  • 1947年(昭和22年)4月 - 世田米町立世田米中学校を創設(同町立世田米小学校内に併設)[1]。また、同中学大股分校を設置[1]
  • 1950年〈昭和25年) - 町立世田米中学校大股分校を廃止し、町立大股中学校として独立[1]
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 上有住村下有住村と合併し、住田町となる。

行政

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歴代村長

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氏名 就任 退任 備考
1 泉田平松 明治22年(1889年)5月11日 明治26年(1893年)5月10日
2 泉田健吉 明治26年(1893年)5月17日 明治30年(1897年)5月16日
3 菅野大造 明治30年(1897年)6月2日 明治32年(1899年)5月22日
4 泉田平右衛門 明治32年(1899年)6月13日 明治33年(1900年)2月24日
5 山内春之助 明治33年(1900年)4月4日 明治34年(1901年)6月21日
6 - 8 横沢忠蔵 明治34年(1901年)9月2日 大正2年(1913年)9月1日
9 泉田健吉 大正2年(1913年)9月6日 大正4年(1915年)5月28日 再任
10 - 11 菅野大造 大正4年(1915年)8月25日 大正12年(1923年)8月24日 再任
12 泉田嘉右衛門 大正12年(1923年)10月29日 昭和2年(1927年)10月28日
13 中里久七 昭和2年(1927年)10月29日 昭和4年(1929年)5月10日
14 - 16 山内喜左衛門 昭和4年(1929年)7月6日 昭和14年(1939年)10月29日
17 菅野伊太郎 昭和15年(1940年)1月11日 昭和15年(1940年)4月28日

歴代町長

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氏名 就任 退任 備考
1 - 3 菅野伊太郎 昭和15年(1940年)4月29日 昭和21年(1946年)11月22日 村長より留任
4 - 5 菊池伊蔵 昭和22年(1947年)4月6日 昭和30年(1955年)3月31日

脚注

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  1. ^ a b c 「母校の誇り いつまでも」『東海新報』東海新報社、2024年1月1日、29面。

参考文献

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  • 『岩手県町村合併誌』(岩手県総務部地方課、1957年)

関連項目

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