与那嶺翼
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琉球ゴールデンキングス | |
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役職 | アカデミーコーチ |
基本情報 | |
愛称 | "ツゥーバァー" |
日本語 | 与那嶺翼 |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1983年5月13日(41歳) |
出身地 | 沖縄県沖縄市 |
身長(現役時) | 173cm (5 ft 8 in) |
体重(現役時) | 69kg (152 lb) |
キャリア情報 | |
中学校 | 沖縄市立コザ中学校 |
高校 | 沖縄県立北中城高等学校 |
大学 | 日本体育大学 |
ドラフト | 2006年 ドラフト外 |
ポジション | ポイントガード |
経歴 | |
選手時代: | |
2006-2009 | 大分ヒートデビルズ |
2009-2013 | 琉球ゴールデンキングス |
2013-2015 | 岩手ビッグブルズ |
2015-2019 | 金沢武士団 |
2019 | 島根スサノオマジック |
コーチ時代: | |
2019-2020 | 岩手ビッグブルズ(AC) |
選手情報 B.LEAGUE.jp |
与那嶺 翼(よなみね つばさ、1983年5月13日 - )は、沖縄県沖縄市出身の元プロバスケットボール選手である。ポジションはポイントガード。
経歴
[編集]大学まで
[編集]10歳でバスケットボールを始める。コザ中学校に進学後[1]、全国中学校バスケットボール大会やジュニアオールスターに出場。1998年に全国中学校バスケットボール大会で優勝する。北中城高校時代にも全国大会を経験。日本体育大学に進学後[2]はインカレで活躍。
プロ入り後
[編集]2006年、大学卒業後、大分ヒートデビルズにドラフト外で入団。1年目からプレイオフ進出に貢献。2008年9月、チャレンジ!おおいた国体バスケットボール競技成年男子の部に佐藤博紀、君塚大輔と共に大分県選抜として出場したが初戦敗退。2009年オフ、FA宣言を行い、出身地の琉球ゴールデンキングスへ移籍。2015年6月、新規参入チームの金沢武士団に移籍[3]。2018‐19シーズン途中に島根スサノオマジックにレンタル移籍をしシーズン終了までプレー[4]。
2019年、現役を引退し岩手ビッグブルズのアシスタントコーチ兼アカデミーコーチに就任[5]。
エピソード
[編集]ユニフォームの名前表記には、英字表記で「WING」(その名の通り翼)。ルーキー年は英字で「TSUBASA」と書かれていた。
成績
[編集]シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | TO | PPG |
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2013-14 | 岩手 | 52 | 27.0 | .405 | .259 | .762 | 2.3 | 3.7 | 0.9 | 0.2 | 1.5 | 5.2 | |
2014-15 | 岩手 | 50 | 21.3 | .337 | .236 | .897 | 2.0 | 3.1 | 0.5 | 0.0 | 0.8 | 3.5 | |
2015-16 | 金沢 |
略称説明 | |||||
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GP | 出場試合数 | GS | 先発出場試合数 | MPG | 平均出場時間 |
FG% | フィールドゴール成功率 | 3P% | スリーポイント成功率 | FT% | フリースロー成功率 |
RPG | 平均リバウンド数 | APG | 平均アシスト数 | SPG | 平均スティール数 |
BPG | 平均ブロック数 | TO | 平均ターンオーバー数 | PPG | 平均得点 |
太字 | キャリアハイ | * | リーグリーダー | † | 優勝シーズン |
脚注
[編集]- ^ 中学・高校時の同級生には呉屋貴教、2歳上には澤岻直人がいる。
- ^ 大学時代の同期に大西崇範がいる。
- ^ 与那嶺選手 基本合意のお知らせ金沢武士団2015年6月24日
- ^ “与那嶺翼選手「島根スサノオマジック」へ期限付き移籍のお知らせ”. 金沢武士団. 2020年2月20日閲覧。
- ^ “【チーム情報】与那嶺翼AC兼アカデミーコーチ 契約締結のお知らせ”. 岩手ビッグブルズ. 2020年2月20日閲覧。