不信の停止
不信の停止(ふしんのていし)または積極的な不信の停止(英語 willing suspension of disbelief)[1]とは人が作り話を鑑賞するとき、懐疑心を抑制し、それが現実ではないことを忘れ、創作された世界に入り込む様子を指す[2][3]。
サミュエル・テイラー・コールリッジが確立した概念とされる(初めて着想したのがコールリッジかどうかは不明)[3]。コールリッジは詩についての議論で用いた[4]が、小説のほか演劇にも適用される[3]。
この言葉は以後広く人口に膾炙し、新聞やラジオでも用いられるようになった[5]。
不信の宙づり[6]、不信の休止[7][4]、不信の念の停止[8]、不信の自発的停止[3]、不信の自発的棚上げ[9]、懐疑の自主的中断[10]、不信の中断[11]とも。
提唱者コールリッジはこの表現を、観客は劇の効果を楽しむことと引き換えに非現実的な内容を受け入れると言う意味で使ったと考えられる[12]。Marie-Laure Ryanは不信の停止をごっこ遊びになぞらえ、現実世界とは別の世界を語る作品を現実世界であるかのようにして読者が受け入れることが不信の停止であると説明する[13]。
語源
[編集]サミュエル・テイラー・コールリッジの1817年のBiographia Literariaより[14]: ... my endeavours should be directed to persons and characters supernatural, or at least romantic, yet so as to transfer from our inward nature a human interest and a semblance of truth sufficient to procure for these shadows of imagination that willing suspension of disbelief for the moment, which constitutes poetic faith.
野中美賀子の日本語訳:...私の努力は、超自然的な少なくとも浪漫的な人物に向けられるべきであった。しかしそれも、想像力に生み出されるこれらの幻影に対し、一時的に不信の念を進んで停止させるほどの人間的興味と真実らしさを読者の内面から移すためであり、これが詩的信仰となるのである。[8]
コールリッジの議論は、詩に超自然的または幻想的な人物を登場させる場合、十分な「人間的興味と真実らしさ」をその人物に与えることによって、読者に「一時的に不信の念を進んで停止させる」ことができるというものだった[3]。
出典
[編集]- ^ 川口喬一、岡本靖正『最新文学批評用語辞典』p.159
- ^ イェスパー・ユール『ハーフリアル: 虚実のあいだのビデオゲーム』(松永伸司 翻訳), p.228
- ^ a b c d e 陳淑莊『治療的媒体としての夢幻能』 大阪芸術大学〈博士(芸術文化学) 甲博文第17号〉、2017年。NAID 500001037205 。
- ^ a b 福原麟太郎『文学要語辞典』1960年、「suspension of disbelief」
- ^ Michael Tomko, Politics, Performance, and Coleridge's "Suspension of Disbelief." Victorian Studies,Vol. 49, No. 2, Papers and Responses from the Fourth Annual Conference of the North American Victorian Studies Association, Held Jointly with the North American Society for the Study of Romanticism Annual Meeting (Winter, 2007), pp. 241-249 Published by: Indiana University Press. http://www.jstor.org/stable/4626281
- ^ http://artscape.jp/artword/index.php/%E4%B8%8D%E4%BF%A1%E3%81%AE%E5%AE%99%E3%81%A5%E3%82%8A
- ^ 丹羽佐紀「想像力と創造力英語の詩作活動への取り組みについて : より良い英詩理解のために」『鹿児島大学教育学部教育実践研究紀要』第24巻、鹿児島大学、2015年、97-102頁、hdl:10232/23048、ISSN 0917-5865、NAID 120005600892。
- ^ a b 野中美賀子「コールリッジの「老水夫行」における超自然(1)」『人間文化研究科年報』第26巻、奈良女子大学大学院人間文化研究科、2011年3月、27-36頁、hdl:10935/2803、ISSN 0913-2201、NAID 120006657444。
- ^ 月刊言語 1996年25巻3号p.20 「関連性理論から見たウソとマコト」今井邦彦
- ^ 長谷海平「芸術を通じた教育の方法として捉える「映画の制作」」『美術教育学:美術科教育学会誌』第36巻、美術科教育学会、2015年、341-349頁、doi:10.24455/aaej.36.0_341、ISSN 0917771X。
- ^ 牛島信明「セルバンテスとボルヘスの合い言葉 : 「不信の中断」(コールリッジ) (<特集>ヨーロッパの文化と文学)」『総合文化研究』第4巻、東京外国語大学総合文化研究所、2001年3月、27-41頁、hdl:10108/22185。
- ^ Murray, John F (2013). “Willing suspension of disbelief: new roles for Violetta and Mimi”. American journal of respiratory and critical care medicine (American Thoracic Society) 187 (5): 465-467. doi:10.1164/rccm.201212-2247OE. PMID 23457365 .
- ^ 岩松正洋「物語論の新展開と可能世界意味論 : マリーロール・ライアンの類型論を中心に」『フランス語フランス文学研究』第69巻、日本フランス語フランス文学会、1996年、61-72頁、doi:10.20634/ellf.69.0_61、ISSN 04254929、CRID 1390001205802791552。
- ^ 'Suspension of disbelief' - the meaning and origin of this phrase