下道黒麻呂
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下道 黒麻呂(しもつみち の くろまろ、生没年不詳)は、奈良時代の官人。姓は朝臣。官位は外従五位下・越前介。
淳仁朝の天平宝字4年(760年)正月、正六位上から外従五位下に叙爵[1]。天平宝字6年(762年)4月、隠岐守に任じられるが[2]、2年後の天平宝字8年(764年)10月、坂本男足と官職を交替する[3]。
称徳朝の神護景雲2年(768年)2月、弓削牛養の後任の越前介に任じられる[4]。以降の事績は不明である。
注記のないものは『続日本紀』による。
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