下村善右衛門
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(下村善右衞門から転送)
下村 善右衛門(善右衞門、しもむら ぜんうえもん、1863年9月9日(文久3年7月27日[1])- 1934年(昭和9年)12月27日[2][3])は、明治から昭和初期の実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]上野国群馬郡前橋本町(群馬県[2]東群馬郡前橋本町[4][5]、前橋町本町を経て現前橋市[3])で、初代前橋市長となる下村善太郎の長男として生まれた[1][4][5]。父の方針で福沢諭吉から直接個人教育を受けた[4][5]。1882年(明治15年)自費で4名の青年を海外に留学させた[1][6]。
政界では、前橋市会議員、同参事会員を務めた[2][3][4]。1899年(明治32年)群馬県会議員に選出された[2][3][4][5]。1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙(群馬県前橋市、無所属)で初当選[1][4][5][7]。第8回総選挙でも再選され[4]、衆議院議員に連続2期在任した[2][3][5]。第9回総選挙で落選し政界を引退した[4]。
実業界では1887年(明治20年)下毛板紙会社を設立して社長に就任[1][2][3][4][6]。横浜漆工会社取締役、上毛物産会社取締役、第三国立銀行取締役、東京交詢社員などを務めた[1][2][3][4][6]。政界引退後は、東京を拠点に事業を行った[4]。また、浅野総一郎、小暮松三郎らと関東水力電気を設立し取締役[2][4][5]となり佐久発電所を建設した[4][5]。
国政選挙歴
[編集]- 第7回衆議院議員総選挙(群馬県前橋市、1902年8月、無所属)当選[7]
- 第8回衆議院議員総選挙(群馬県前橋市、1903年3月、中正倶楽部)当選 [7]
- 第9回衆議院議員総選挙(群馬県前橋市、1904年3月、無所属)次点落選[7]
伝記
[編集]- 萩原進『その人その人生 : 下村善太郎・下村善右衛門伝』下村善太郎同善右衛門伝記刊行会、1993年。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 田中重策篇『新撰衆議院議員列伝』日本現今人名辞典発行所、1903年。
- 人事興信所編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 『群馬県人名大事典』上毛新聞社、1982年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『群馬新百科事典』上毛新聞社、2008年。