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下島正資

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

下島 正資(しもじま まさすけ、1950年6月4日 - 2010年1月2日)は日本の写真家。

来歴

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中学校で父親に貰った8mmムービーカメラで学校の行事を記録、発表。高校時代は35mmカメラで反戦デモや大学籠城学生を撮影、新宿フーテン族を発見後彼らの姿を追ってスナップ撮影。

新宿風月堂やゴールデン街で写真家・福島菊次郎から報道写真の神髄を教わる。

ノーベル書房「ビートロジー(乞食哲学)」や内外の雑誌社に写真を販売。

インディペンデント・レーベルURCレコード(音楽舎)で「五つの風船」LPジャケット、岡林信康フォーク・クルセダーズ高田渡遠藤賢司高石友也(ともや)、六文銭等を撮影した。その為、都立高校生を4年間経験。

1970年に渡米、プリンストン大学キャンパス内の学生寮にて友人イアン・リービー(現・作家・リービー英雄)の部屋に居候。

ニュージャージー州プリンストンよりニューヨークマンハッタンにあるケンブリッジ英語学校へバス通学。3ヶ月後、NYに一人転居・自立。

1971年サンフランシスコ・アート・インスティテュート映画科。1年間履修。

1972年サンタバーバラ・インスティテュート写真学部入学。

1975年同イラストレート・フォトグラフィ学科卒業後、ロスアンゼルス(LA)移転。同年、美術評論家・ヨシダ・ヨシエ、舞踏家・玉野黄市等アーチストがサンフランシスコで現代日本美術紹介のため渡米。

LAを訪問時、急遽ハリウッド・個人スタジオを借り切り、企画・広報を行いLA初の舞踏を紹介・成功させた。

同じくデス・バレーにて玉野黄市の舞踏を撮影した。南加州(カルフォニア)で活躍する日系人アーチストに選出され、記念展覧会出展。フリーランス写真家。

1976年7月4日、建国200周年日にLAを発ち、ハワイ経由で帰国。カメラ毎日に「デス・バレー」舞踏を発表。