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下和田村 次左衛門(しもわだむら じざえもん、明和5年(1768年)[1] - 天保7年11月16日(1836年12月23日))は、江戸時代後期の一揆指導者[2]。姓は森[2]。通称は別に武七[2]。
甲斐国都留郡下和田村に生まれる[1]。天保4年(1833年)以来の凶作で飢饉に苦しむ農民の救済の為に天保7年8月20日(1836年9月30日)米商から米の押し借りをおこなうが、これが甲斐国一円に拡がる打ち毀しに発展し失敗(甲州郡内騒動)[1][2]。のち捕えられ獄死した[1][2]。