下井河村
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しもいがわむら 下井河村 | |
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廃止日 | 1955年2月1日 |
廃止理由 |
新設合併 上井河村、下井河村 → 井川村 |
現在の自治体 | 井川町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 秋田県 |
郡 | 南秋田郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 11.10 km2. |
総人口 |
4,533人 (1955年合併時) |
隣接自治体 | 一日市町・飯田川町・上井河村・大川村 |
下井河村役場 | |
所在地 | 秋田県南秋田郡下井河村海老沢樋ノ口97 |
座標 | 北緯39度54分58秒 東経140度04分41秒 / 北緯39.91608度 東経140.07794度座標: 北緯39度54分58秒 東経140度04分41秒 / 北緯39.91608度 東経140.07794度 |
ウィキプロジェクト |
下井河村(しもいがわむら)は、秋田県中央部に位置していた村。
地理
[編集]村の西側は八郎潟に面していた。
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により南秋田郡濱井川村、小竹花村、北川尻村、坂本村、今戸村が合併し、下井河村が発足。
- 1930年(昭和5年) - 下井河村争議発生[1]。地主側が裁判を通じて農地への立入を禁止する一方[2]、小作人側が地主宅を襲う[3]など混乱が続いた。
- 1955年(昭和30年)2月1日 - 上井河村と合併して井川村となる。
村長
[編集]期 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
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1-3 | 藤田喜兵衛 | 1889年(明治22年)5月9日 | 1899年(明治32年)8月23日 |
4 | 遠藤富蔵 | 1899年(明治32年)8月30日 | 1901年(明治34年)3月19日 |
5 | 中道嘉左衛門 | 1901年(明治34年)4月4日 | 1901年(明治34年)12月26日 |
6 | 遠藤善六 | 1902年(明治35年)2月10日 | 1902年(明治35年)10月7日 |
7 | 伊藤七十郎 | 1903年(明治36年)3月9日 | 1904年(明治37年)6月24日 |
8 | 児玉隆蔵 | 1904年(明治37年)7月5日 | 1907年(明治40年)9月17日 |
9 | 伊藤喜之助 | 1907年(明治40年)12月10日 | 1911年(明治44年)12月9日 |
10 | 勝田清蔵 | 1911年(明治44年)12月22日 | 1915年(大正4年)12月21日 |
11-14 | 伊藤養之助 | 1916年(大正5年)1月8日 | 1929年(昭和4年)7月2日 |
15 | 児玉重三郎 | 1929年(昭和4年)7月29日 | 1933年(昭和8年)7月28日 |
16 | 伊藤養之助 | 1933年(昭和8年)10月27日 | 1935年(昭和10年)5月21日 |
17-18 | 中道忠太郎 | 1935年(昭和10年)5月26日 | 1943年(昭和18年)6月15日 |
19 | 遠藤三之丞 | 1943年(昭和18年)7月20日 | 1946年(昭和21年)11月21日 |
20 | 半田嘉蔵 | 1947年(昭和22年)2月12日 | 1947年(昭和22年)4月5日 |
21 | 伊藤鉄之助 | 1947年(昭和22年)4月6日 | 1951年(昭和26年)4月5日 |
22 | 浅野宇三郎 | 1951年(昭和26年)4月23日 | 1955年(昭和30年)1月31日 |
教育
[編集]- 下井河村立下井河小学校
- 下井河村立下井河中学校
- 秋田県立金足農業高等学校定時制課程下井河分校
脚注
[編集]- ^ 下井河争議、小作側に不利の判決『秋田魁新報』昭和5年5月18日夕刊(『昭和ニュース事典第2巻 昭和4年-昭和5年』本編p5 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 立入禁止の執行で混乱『秋田魁新報』昭和5年5月24日(『昭和ニュース事典第2巻 昭和4年-昭和5年』本編p6 )
- ^ 下井河村の少年団が地主宅を襲う『秋田魁新報』昭和5年7月9日(『昭和ニュース事典第2巻 昭和4年-昭和5年』本編p6)
- ^ 「井川町史」pp.564-565