上遠野盛秀
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 天正元年(1573年)? |
別名 | 秀益、藤兵衛 |
官位 | 美濃守、備中守 |
主君 | 結城晴綱 |
氏族 | 上遠野氏 |
父母 | 上遠野秀式 |
子 | 秀綱 |
上遠野 盛秀(かみとおの/かどおの/かどの/かとおの もりひで)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。白河結城氏の家臣。
略歴
[編集]上遠野秀式の子として誕生。盛秀は当初、陸奥国中丸館を居館としたが、永禄3年(1560年)に主家・白河結城氏の命で赤館城代となった。盛秀が移る前の赤館城は赤館氏が居城としていたが、白河氏によって追われている。
天正元年(1573年)頃に病死。盛秀没後の赤館城は鹿子畑氏が入城したが、翌天正2年(1574年)に佐竹氏に攻め落とされた。
一説には、天正3年(1575年)に白河結城氏を離れて佐竹氏に仕えたとも言われている。
出典
[編集]- 『上遠野文書』(陸前)