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上百済

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

上 百済 (かみ の くだら、生没年不詳)は、飛鳥時代貴族氏姓は上村主のち阿刀連。小乙下・上光欠の子[1]官位従五位大学博士

出自

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上氏(上村主)は武帝の子・陳思王曹植の後裔とされる中国系渡来氏族[2]の呼称については、本貫河内国であることから、安宿郡大県郡渋川郡に所在する賀美郷に由来すると想定される[3]

経歴

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持統天皇5年(691年大学博士として学業を勧めた功績によりとして正税1000束を与えられる。また、持統天皇7年(693年)には儒道に優れることを賞されて食封50戸を与えられている(この時の冠位は直広肆(従五位下相当))。

大宝元年(701年)の大宝令の制定を通じて従五位に叙せられ、大宝4年(704年)上村主からに阿刀連に改姓している。

官歴

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六国史』による。

脚注

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  1. ^ 鈴木真年『百家系図稿』巻9
  2. ^ 『新撰姓氏録』左京諸蕃
  3. ^ 佐伯[1994: 160]

参考文献

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