上百済
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上 百済 (かみ の くだら、生没年不詳)は、飛鳥時代の貴族。氏姓は上村主のち阿刀連。小乙下・上光欠の子[1]。官位は従五位・大学博士。
出自
[編集]上氏(上村主)は魏の武帝の子・陳思王曹植の後裔とされる中国系渡来氏族[2]。氏の呼称については、本貫が河内国であることから、安宿郡・大県郡・渋川郡に所在する賀美郷に由来すると想定される[3]。
経歴
[編集]持統天皇5年(691年)大学博士として学業を勧めた功績によりとして正税1000束を与えられる。また、持統天皇7年(693年)には儒道に優れることを賞されて食封50戸を与えられている(この時の冠位は直広肆(従五位下相当))。
大宝元年(701年)の大宝令の制定を通じて従五位に叙せられ、大宝4年(704年)上村主からに阿刀連に改姓している。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 時期不詳:大学博士
- 持統天皇5年(691年) 4月1日:賜大税1000束(勧其学業也)
- 時期不詳:勤広弐
- 持統天皇7年(693年) 3月5日:食封30戸(優儒道)
- 時期不詳:従五位
- 大宝4年(704年) 2月20日:上村主から阿刀連に改姓