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上田農夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

上田 農夫(うえだ のうふ、1848年[1][2]6月30日(嘉永元年5月30日[3][注 1])- 1895年明治28年)8月29日[4])は、明治時代の政治家衆議院議員(1期)。幼名は馬太郎[3][5]

経歴

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陸奥国岩手郡、のちの岩手県[4]南岩手郡東中野村[1][2](現盛岡市)で盛岡藩士・上田長次[注 2]の二男として生まれる[5]。藩校作人館を経て1872年(明治5年)東京で遊学し、帰郷後の1876年(明治9年)岩手県に奉職する[5]。聴訟課権少属、警部を経て[6]久慈警察署長、一関警察署長を歴任[1][2]1877年(明治10年)の西南戦争では官軍の新撰旅団小警部心得として出征する[6]自由民権運動に加わり、政治結社・求我社に加わった[1][3]1879年(明治12年)[1][2][注 3]には岩手県会議員に当選し、議長を歴任した[3][7]。その後は勧業諮問委員を務めたほか、北水社を設立し育英事業に尽力した[4]。また、産馬事業に貢献した[4]

1892年(明治25年)2月の第2回衆議院議員総選挙では岩手県第1区から出馬し当選したが[4]、当選訴訟で当選無効の判決を受けて同年10月4日に失職し[8]、衆議院議員を1期務めた[4]

伝記

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『議会制度七十年史 第11』69頁では嘉永5年5月
  2. ^ 『新版 岩手百科事典』61頁では長治。
  3. ^ 『岩手県国会議員列伝』24頁では明治11年。第1回県会議員選挙は明治12年3月に行われた(細井計ほか『岩手県の歴史』〈県史3〉山川出版社、1999年、年表17頁)。

出典

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  1. ^ a b c d e 『新版 岩手百科事典』61頁。
  2. ^ a b c d 『岩手県姓氏歴史人物大辞典』77頁。
  3. ^ a b c d 『岩手人名辞典』33頁。
  4. ^ a b c d e f 衆議院、参議院 編 1962, 69頁.
  5. ^ a b c 村上 1889, 23頁.
  6. ^ a b 村上 1889, 23-24頁.
  7. ^ 村上 1889, 24頁.
  8. ^ 『官報』第2798号、明治25年10月24日。衆議院事務局編『総選挙衆議院議員当選回数調 - 第1回乃至第19回』衆議院事務局、1936年、233頁。

参考文献

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