上松義次
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上松 義次(あげまつ よしつぐ、慶長18年(1613年) – 貞享3年9月24日(1686年11月9日))は、江戸時代初期の米沢藩士。夢覚流剣術の開祖。父は木曾義重(左近)。母は木曾義昌の娘の伊摩。義昌の弟上松義豊との関係は不詳。小倉氏、総社長尾氏の名跡を継いで後に上松氏を称する。通称は頼母。隠居後の号は一空。
経歴
[編集]上杉定勝の近習となり、御膳番などを勤める。また、三富流の須賀玄斎に入門してその高弟となる。
寛永10年(1633年)に小倉氏、同11年(1634年)に総社長尾氏の名跡を相続するが正保3年(1646年)に上松氏を称して一家を立てる。
明暦3年(1657年)頃に剣術の一派である夢覚流を創始する。以後、上松家当主は代々、夢覚流を相伝する。
参考文献
[編集]- 家臣人名事典編集会「三百藩家臣人名事典1」(新人物往来社、1987年)
- 「御家中諸士略系譜」