上市電報電話局
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上市電報電話局(かみいちでんぽうでんわきょく)は、富山県中新川郡上市町南町にあった電報電話局。公社時代は北陸電気通信局富山電気通信部の管轄下にあった。
概要
[編集]上市電報電話局は、1953年(昭和28年)3月25日に上市郵便局における電気通信業務を承継して開設された[1][2]。1954年(昭和29年)度における管内開通電話数は427件であった[3]。当初の局舎は中新川郡上市町上中町にあったが[4]、1966年(昭和41年)8月に同郡同町南町に新局舎が完成して移転した[5]。
1964年(昭和39年)当時は内部機構として業務課、施設課及び庶務課を有した[6]。
歴史
[編集]黒部電報電話局開設前の事項については、上市郵便局の項目を参照のこと。
- 1953年(昭和28年)3月25日 - 上市電報電話局を開設し[1]、上市郵便局における電気通信業務を廃止し、その業務を上市電報電話局に移管する[2]。同月、局舎の増改築を完了する[4]。
- 1954年(昭和29年)3月25日 - 電信方式を音響通信から電話通信に変更する[7]。
- 1958年(昭和33年)
- 1961年(昭和36年)10月15日 - 富山電報電話局に市外電話を集中し、富山 - 上市 - 水橋 - 立山 - 小見相互間において半自動即時通話となる[9]。
- 1965年(昭和40年)10月 - 自動式更改工事に着手する[10]。
- 1966年(昭和41年)
- 1967年(昭和42年)
- 1975年(昭和50年)5月1日 - 白萩郵便局を廃止し、和文電報配達事務を上市電報電話局に移管する[16]。
脚註
[編集]- ^ a b 昭和28年日本電信電話公社公示第71号(『官報』、1953年(昭和28年)4月2日)
- ^ a b 昭和28年郵政省告示第413号(『官報』、1953年(昭和28年)3月30日)
- ^ 日本電信電話公社経営調査室編、『電信電話年鑑』(377頁)、1955年(昭和30年)12月、日本電信電話公社
- ^ a b c 日本電信電話公社北陸電気通信局編、『北陸の電信電話 その九十年の歩み』(467頁)、1964年(昭和39年)10月、日本電信電話公社北陸電気通信局
- ^ 上市町誌編纂委員会編、『上市町誌』(588、1086及び1088頁)、1970年(昭和45年)2月、上市町
- ^ 日本電信電話公社北陸電気通信局編、『北陸の電信電話 その九十年の歩み』(412頁)、1964年(昭和39年)10月、日本電信電話公社北陸電気通信局
- ^ 日本電信電話公社北陸電気通信局編、『北陸の電信電話 その九十年の歩み』(467及び585頁)、1964年(昭和39年)10月、日本電信電話公社北陸電気通信局
- ^ 昭和33年郵政省告示第989号(『官報』、1958年(昭和33年)9月23日)
- ^ 日本電信電話公社北陸電気通信局編、『北陸の電信電話 その九十年の歩み』(595頁)、1964年(昭和39年)10月、日本電信電話公社北陸電気通信局
- ^ a b c d 上市町誌編纂委員会編、『上市町誌』(516及び1086頁)、1970年(昭和45年)2月、上市町
- ^ 上市町誌編纂委員会編、『上市町誌』(1086及び1088頁)、1970年(昭和45年)2月、上市町
- ^ なお大岩郵便局は1972年(昭和47年)4月1日に廃止された(昭和47年郵政省告示第182号)
- ^ 昭和42年郵政省告示第166号(『官報』、1967年(昭和42年)3月1日)
- ^ なお東谷郵便局は1974年(昭和49年)4月1日に廃止された(昭和49年郵政省告示第188号)
- ^ 昭和42年郵政省告示第868号(『官報』、1967年(昭和42年)10月18日)
- ^ 昭和50年郵政省告示第236号(『官報』、1975年(昭和50年)4月10日)