上市町立上市中央小学校
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上市町立上市中央小学校 | |
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北緯36度42分2.707秒 東経137度21分48.305秒 / 北緯36.70075194度 東経137.36341806度座標: 北緯36度42分2.707秒 東経137度21分48.305秒 / 北緯36.70075194度 東経137.36341806度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 上市町 |
併合学校 |
上市小学校 音杉小学校 |
校訓 | つよい心と体をつくり ルールを守り、仲間を思いやる ぎもんを出し合い、よく考える |
設立年月日 | 1958年9月30日 |
創立記念日 | 9月30日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B116232200022 |
所在地 | 〒930-0355 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
上市町立上市中央小学校(かみいちちょうりつ かみいちちゅうおうしょうがっこう)は、富山県中新川郡上市町にある公立小学校。
沿革
[編集]- 上市小学校
個別に出典が提示された箇所を除いた出典→[2]
- 1873年(明治6年)8月 - 興文小学校を常福寺にて創立。
- 1876年(明治9年) - 学校を御蔵(加賀藩時代の籾蔵)跡に移す。
- 1879年(明治12年) - 大徳寺地内(現、西中町50番地)に校舎を新築。
- 1886年(明治19年)4月 - 興文小学校(尋常科)と上市小学校(簡易科)を設置。
- 1891年(明治24年)10月 - 興文尋常高等小学校となる。
- 1892年(明治25年)10月 - 上市尋常高等小学校と改称。
- 1894年(明治27年)4月 - 興文尋常高等小学校と改称。
- 1896年(明治29年)
- 4月 - 上市尋常高等小学校と改称。
- 5月 - 校舎増築落成。
- 1910年(明治43年)1月 - 蔵前(現、南町)に新校舎新築落成。校地11,252m2、校舎3,704m2。
- 1941年(昭和16年)4月 - 上市国民学校と改称。
- 1947年(昭和22年)4月 - 上市小学校と改称[3]。
- 音杉小学校
- 1876年(明治9年)5月 - 後明小学校の分校とし稗田の民家に設立。
- 1885年(明治18年)5月 - 興原小学校の分校となる。
- 1886年(明治20年)7月 - 徳隆小学校の分校となる。
- 1887年(明治21年)4月 - 若杉小学校の分校となる。
- 1889年(明治22年)4月 - 音杉簡易小学校として独立。稗田村横市(中央小学校統合前の場所)に校舎を新築。
- 1892年(明治25年)10月 - 音杉尋常小学校と改称。
- 1911年(明治44年)4月 - 校地拡張、校舎増築。
- 1924年(大正13年)4月 - 音杉尋常高等小学校に改称。
- 1934年(昭和9年)11月 - 雨天体操場、北側校舎増築。
- 1941年(昭和16年)4月 - 音杉国民学校と改称。
- 1947年(昭和22年)4月 - 音杉小学校と改称[3]。
- 1954年(昭和29年)4月 - 上市町立音杉小学校と改称[3]。
- 1955年(昭和30年)4月 - 新川東部小学校(現・立山町立立山北部小学校)の一部区域を校区に編入[3]。
- 上市中央小学校
- 1958年(昭和33年)10月 - 上市小学校と音杉小学校が統合し、上市中央小学校に改称[3]。
- 1961年(昭和36年)
- 1963年(昭和38年)3月 - 体育館新築[2]。
- 1996年(平成8年)8月 - 大規模改修第7期工事完成[6]。
- 2010年(平成22年)12月 - 耐震補強工事完成[7]。
通学区域
[編集]東町、神明町、上中町、錦町、西中町、新町、熊野町、鍵町、南町、森元町、石浦町、旭町、松和町、幸町、柳町(一部)、西町、栄町、天神町、北島、湯上野、上法音寺、法音寺、横法音寺、大坪、稗田、正印、上正、上経田(音杉)、正印新、川原田、三日市、横越、神田、新村、和合、野福[8]
進学先
[編集]昭和天皇北陸巡幸
[編集]戦後巡幸の一環で、昭和天皇の上市町への巡幸が1947年11月1日に決定。上市小学校の校庭(現在のNTT上市交換場付近)が奉迎場となった。奉迎場の御野立場は、熊野町と神明町の山車(いずれも後に町の文化財に指定)を並べて板を渡した上に絨毯を敷いたものとなった。当日は、15,000人収容の校庭がいっぱいになった[9]。