上妻美章
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上妻 美章(こうづま よしあき、1923年 - 1989年)は、昭和時代の労働運動家[1]。
経歴
[編集]福岡県生まれ。1950年九州大学法学部政治学科卒業[2]。在学中は野中卓、水原輝雄とともに九州大学共産党細胞の中心メンバーであった[3]。1953年左派社会党の稲村順三衆議院議員の秘書となる。1957年総評書記局に入局し調査部に配属。太田薫総評議長のブレーンとして「日本的組合主義」の草案を執筆。1963年総評教宣局情宣部長に就任し『月刊総評』の編集などに従事。1968年岩井章総評事務局長と対立して総評を退職。宝樹文彦全逓委員長の招請で全逓に入職し、全逓中央労働学校の常任講師、制度・政策委員として活動した[4]。
著書
[編集]- 『日本共産党論』(労働大学[労大新書]、1964年)
- 『労働運動ノート』(労働大学[労大新書]、1965年)
- 『春闘――その歴史と課題』(労働旬報社、1965年)
- 『今日の労働運動』(社会新報、1967年)
- 『春闘――総評史の断面』(労働教育センター[労働運動実践叢書]、1976年)
- 『世界労働者運動史』(社会新報、1978年)
- 『労働運動の日々を生きて――上妻美章遺稿集』(刊行委員会編、上妻美章遺稿集刊行委員会、1991年)