上名久井館
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上名久井館 (青森県) | |
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城郭構造 | 平山城 |
築城主 | 奥州工藤氏 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 奥州工藤氏、東彦左衛門 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 曲輪、堀、土塁 |
指定文化財 | 史跡等未指定[1][2] |
埋蔵文化財 包蔵地番号 | 青森県No.445046[2] |
位置 | 北緯40度24分57.6秒 東経141度19分40.2秒 / 北緯40.416000度 東経141.327833度座標: 北緯40度24分57.6秒 東経141度19分40.2秒 / 北緯40.416000度 東経141.327833度 |
地図 |
上名久井館(かみなくいだて)は、青森県三戸郡南部町上名久井にあった日本の城(城館)。別称「名久井館」。
沿革
[編集]名久井岳の尾根の東端を利用して、馬淵川の右岸の丘陵に東西160メートル×南北100メートルの規模で、館は大館と小古館の二つに分かれている。四周に土塁をめぐらし、南北に掘割を構えていた。
築城時期は不明。戦国時代の城主は東彦左衛門であったといわれ、近くの下名久井館と共に[2]、もとは工藤氏の居城であったが、工藤氏は三戸南部氏と関係が深く、屋敷を東に構えたため、東(ひがし)氏と呼ばれたといわれる。天正19年(1591年)の九戸政実の乱では南部信直方に与した。
天正20年(1592年)の『諸城破却書上』には「糠部郡之内 名久井 平城 南部 中務 持分」とあり、破却はまのがれた。