上原鹿造
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上原 鹿造(うえはら しかぞう、慶応元年12月13日[1](1866年1月29日) - 昭和10年(1935年)10月4日[2])は、日本の衆議院議員(憲政本党)。弁護士。
経歴
[編集]府内藩士上原平馬の四男として大分に生まれる[1][3]。1883年(明治16年)、大分師範学校に入学して4年間学び[3]、小学校訓導・校長を務めた[2]。1888年(明治21年)に上京し、国民英学会を経て、1892年(明治25年)に東京専門学校(現在の早稲田大学)行政科を卒業した[3]。同年、弁護士試験に合格し、鳩山和夫事務所に勤務した[3]。日本弁護士協会の結成に加わり、機関雑誌の編集主任を務め[3]、理事となった[1]。
1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
その後、鳩山事務所から独立し、1913年(大正2年)からは東京弁護士会副会長を務めた[3]。
その他、池上電気鉄道株式会社取締役、京成電気軌道株式会社取締役、ボルネオ護謨株式会社取締役などを務めた[1]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『大分県人士録』大分県人士録発行所、1914年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。