上原明
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うえはら あきら 上原 明 | |
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生誕 |
1941年4月5日(83歳) 日本 東京都 |
出身校 | 慶應義塾大学経済学部卒業 |
職業 | 実業家 |
子供 | 上原茂(長男) |
親 | 堀田庄三(実父) |
親戚 | 上原昭二(義父) |
上原 明(うえはら あきら、1941年〈昭和16年〉4月5日 - )は、日本の実業家。大正製薬相談役。
大正製薬ホールディングス代表取締役社長、大正製薬代表取締役社長および代表取締役会長、城西大学理事長を歴任した。
来歴・人物
[編集]住友銀行頭取・堀田庄三の二男として[1]、東京都港区麻布に生まれる。
成蹊小学校、成蹊中学校、成蹊高等学校を経て慶應義塾大学経済学部に進学し、米国のミズーリバレーカレッジ、ダートマス大学経営学科大学院に留学。帰国後、休学していた慶應義塾大学に復学し卒業した[1]。
1966年(昭和41年)4月、日本電気株式会社(NEC)入社[1]。
大正製薬社長・上原昭二(現在は名誉会長)の長女である正子(武蔵野音楽大学出身)との結婚を機に、1977年(昭和52年)に大正製薬に入社し、取締役総務部長に就任。翌78年に専務、80年に副社長、82年に社長となる[1]。
大正製薬は、三菱銀行を主力銀行としてきたが、この縁談を機に住友銀行に切り替えた。また、社内の情報関連機器が、日本IBMから日本電気製品に一斉に取り替えられたという[2]。
趣味は映画観賞、演劇鑑賞。
親族
[編集]兄は、住友銀行副頭取、モルガン・スタンレー証券会長を務めた堀田健介。
長男の上原茂が大正製薬代表取締役社長、三男の上原健が同代表取締役副社長を務める[2]。 茂、治(茂と双子)、健の3兄弟は、いずれも小学校から慶應義塾幼稚舎に学び、大学まで一貫して慶應義塾で過ごした。
経歴
[編集]- 成蹊小学校に2年生で編入し、そのまま成蹊中学校・高等学校に進学。
- 1966年3月 慶應義塾大学経済学部卒業。在学中に、米国のミズーリバレーカレッジ、ダートマス大学ビジネススクールに各1年間留学。
- 1966年4月 日本電気株式会社(NEC)入社、主に営業担当
- 1977年3月 日本電気株式会社(NEC)退社
- 1977年4月 大正製薬株式会社入社、総務部長
- 1977年6月 同社 取締役
- 1978年6月 同社 専務取締役
- 1980年6月 同社 取締役副社長
- 1981年6月 同社 代表取締役副社長
- 1982年6月 同社 代表取締役社長就任
- 2009年4月 同社 代表取締役会長兼社長[3]
- 2011年10月 大正製薬ホールディングス 代表取締役会長兼社長[3]
- 2012年6月 大正製薬 代表取締役会長[3]
- 2013年6月 大正製薬ホールディングス 代表取締役社長[3]
- 2015年6月 大正製薬 取締役会長[3]
- 2017年9月 学校法人城西大学理事長に就任
- 2023年12月 学校法人城西大学理事長を退任[4]
- 2024年7月 - 大正製薬ホールディングス代表取締役社長および大正製薬取締役会長を退任し、大正製薬相談役に就任[5][6]。
兼職等
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 菊地 2010, p. 170.
- ^ a b 菊地 2010, p. 171.
- ^ a b c d e “大正製薬ホールディングス(4581) - 役員”. Ullet(ユーレット). 2022年6月24日閲覧。
- ^ 「新理事長就任のお知らせ」【城西大学】2023年12月
- ^ “大正製薬HDが42年ぶりトップ交代…創業家・上原明社長の長男、上原茂副社長が就任”. 読売新聞オンライン (株式会社読売新聞東京本社). (2024年7月3日) 2024年7月3日閲覧。
- ^ “人事、大正製薬”. 日本経済新聞 (株式会社日本経済新聞社). (2024年7月2日) 2024年7月6日閲覧。
参考文献
[編集]- 菊地浩之『日本の15大同族企業』平凡社新書、2010年3月。ISBN 978-4582855166。
先代 (初代) |
大正製薬ホールディングス社長 2011 - 2024 |
次代 上原茂 |
先代 上原昭二 |
大正製薬社長 1982 - 2012 |
次代 上原茂 |
先代 小野元之(代理) |
城西大学理事長 2017 - 2023 |
次代 藤野陽三 |