上原嘉四郎
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上原 嘉四郎(うえはら かしろう、1892年(明治25年)12月6日 - 1970年(昭和45年)8月15日)は、沖縄県の政治家。旧姓は仲宗根。
人物
[編集]沖縄県本部町字伊野波出身。1913年(大正2年)沖縄県立農学校(後の沖縄県立農林学校→沖縄県立北部農林高等学校)卒業後兵役となり、農業に従事し村会議員を勤める。1922年(大正11年)本部村林業技手となり翌1923年(大正12年)収入役、1927年(昭和2年)助役となる(1期4年)。1931年(昭和6年)12月助役を退任し村勧業主任技手、兼農会技手を勤める。
前村長であった仲宗根源栄退任後の1939年(昭和14年)5月10日、本部村臨時村長に任じられ6月29日に辞任後は国頭郡農会技手、県農業会国頭支部指導課長を歴任し終戦となる[1]。戦後本部町工務課長、産業課長、助役を経て、1950年(昭和25年)7月には第8代本部町長に就任する。また同年12月1日に行われた戦後初の国勢調査によると当時の本部町の人口21,010人、上本部村の人口6,542人であった[2]。上原は戦後の混乱期に本部町政を担当し、戦後処理と民生の安定、経済、教育の復興等町政の発展に尽力した。