上別府宮内少輔
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 享禄4年(1531年) |
死没 | 元亀3年(1572年) |
主君 | 伊東義祐 |
氏族 | 上別府氏 |
上別府 宮内少輔(かみべっぷ くないしょうゆう)は、戦国時代の武将。日向伊東氏の家臣。実名は不明。清武地頭。日向国宮崎郡清武城主。
略歴
[編集]日向国の中世史料である『日向記』の巻第7“分国中城主揃事”によると、長倉伴九郎と共に清武城主を務めたとされる。天文20年(1551年)の目井城攻防戦で長池刑部少輔等と共に活躍した。
元亀3年(1572年)の覚頭合戦の際には、伊東新次郎、伊東加賀守等を大将とする伊東軍に伴九郎と共に従軍した。しかしこの戦いで伊東軍は島津軍に敗北を喫してしまい、若年の長倉伴九郎戦死の報に接した宮内少輔は、自分自身を面目なく感じ戦場に引き返し、戦死を遂げた。享年41。