三重県立四日市高等学校
三重県立四日市高等学校 | |
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北緯35度0分27.7秒 東経136度38分50.7秒 / 北緯35.007694度 東経136.647417度座標: 北緯35度0分27.7秒 東経136度38分50.7秒 / 北緯35.007694度 東経136.647417度 | |
過去の名称 |
三重県第二中学校 三重県立富田中学校 四日市市立高等女学校 三重県富洲原町立実科高等女学校 四日市市立富洲原実科高等女学校 三重県四日市高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 三重県 |
設立年月日 | 1899年(明治32年)4月1日 |
創立記念日 | 5月23日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
普通科 普通科国際科学コース |
学科内専門コース | 国際科学コース |
学期 | 2学期制 |
学校コード | D124210050070 |
高校コード | 24105K |
所在地 | 〒510-8510 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
三重県立四日市高等学校(みえけんりつ よっかいちこうとうがっこう)は、三重県四日市市富田四丁目に所在する公立の高等学校。
概要
[編集]通称は「四高」(しこう)[1]。
全日制の普通科、普通科国際科学コースとともに、2005年(平成17年)度まで通信制も設置していた。1974年(昭和49年)から1995年(平成7年)までは三重県立四日市南高等学校と学校群制度を組んだ。
2014年(平成26年)にはスーパーグローバルハイスクール(SGH)の指定を受けた。
2018年(平成30年)にはスーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定を受けた。
設置学科
[編集]教育方針
[編集]「文武両道」をスローガンに学問と部活動の両立を目指している。教育方針は「勉学と運動の両立を目標とし個性の伸長と品性の陶冶に努め、もって我が国及び国際社会における有為で心豊かな人材を育成する」である。
進学状況
[編集]近年は[2]三重大学教育学部附属中学校からの進学者が多数を占めている。
21世紀以降は、東京大学合格者が国際科学コース在籍生徒を中心に10名前後にまで増加し、京都大学へは毎年20名前後、名古屋大学へは40名前後の進学を果たしている年度も見られる。浪人後に難関大学を受験して合格する者も見受けられる[3]。
沿革
[編集]- 1899年(明治32年)- 三重県第二尋常中学校(二中)として創立される。
- 1899年(明治32年) - 四日市市立四日市裁縫学校として創立される。
- 1901年(明治34年) - 四日市市立高等女学校(泗高女)を開校した。
- 1911年(明治44年) - 四高女で実科を設置して、専修科を廃止する。
- 1919年(大正8年)- 三重県第二中学校を三重県立富田中学校(富中)と改称した。
- 1924年(大正13年) - 富中の初代校長の田村左衞士が退陣する。これに伴い、翌年に新校長の排斥を求めた同盟によって休校をする。
- 1926年(大正15年) - 三重県富洲原町立実科高等女学校(北高女)として創立される。
- 1942年(昭和17年) - 三重県富洲原町立実科高等女学校を四日市市立富洲原実科高等女学校と改称した。
- 1947年(昭和22年)- 富中野球部が第19回全国選抜中等学校野球大会(現:選抜高等学校野球大会)に初出場をした。
- 1948年(昭和23年) - 3学校を統合して三重県四日市高等学校(四高)が創立される。通信制が開講する。
- 1954年(昭和29年) - 被服科が設置される。
- 1955年(昭和30年) - 野球部が第37回全国高等学校野球選手権大会で初出場で、初優勝をした。三重県勢の全国制覇は、夏の選手権大会ではこの1回のみである。また春の選抜大会を含めても、1969年(昭和44年)の第41回選抜大会の三重高校との合計2回のみとなっている。
- 1967年(昭和42年) - 野球部が第49回全国高等学校野球選手権大会に12年ぶり2回目の出場した。
- 1969年(昭和44年) - 同窓会館が完成する。
- 1974年(昭和49年) - 三重県立四日市南高等学校と総合選抜制(学校群制度)が開始される。
- 1982年(昭和57年) - 被服科が募集を停止する。
- 1984年(昭和59年) - 家政科が募集を停止する。普通科のみとなる。
- 1986年(昭和61年) - 宿泊研修施設が開設する。
- 1989年(平成元年) - 新体育館が落成する。
- 1994年(平成6年) - 普通科に国際科学コースが設置される。
- 1995年(平成7年) - 三重県立四日市南高等学校と総合選抜制を廃止する。
- 1999年(平成11年) - 創立100周年を迎える。
- 2002年(平成14年) -完全週休二日制となる。
- 2003年(平成15年) - 図書館や天体観測ドームがあった建物が改修された。文部科学省より、スーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定を受ける。
- 2006年(平成18年) - 三重県立四日市北高校と同校の通信制の統合により三重県立北星高等学校が設立された。通信制の募集が停止される。
- 2009年(平成21年) - 創立110周年を迎える。
- 2012年(平成24年)-三重県教育委員会よりMie SSH(スーパーサイエンスハイスクール)事業の指定を受ける。
- 2014年(平成26年) - スーパーグローバルハイスクール(SGH)の指定を受ける。
- 2018年(平成30年) - スーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定を受ける。
象徴
[編集]校歌
[編集]佐佐木信綱作詞、弘田龍太郎作曲。歌詞は三番まである。一番では伊勢の海の音を聞きながら学ぶ様子が、二番では真理を求める学生と鈴鹿の山が、三番では学生の意志と四高の目標が謳われている。
校章
[編集]八稜星と定められている。三重県第二中学校の校章の中央に記された「二中」の文字を「高」に置き換えたものである。「希望に輝く若人の多方面に発展しようとする情熱をかたどり、中央の「高」はその若人達の固く団結している学園を象徴している」としている(公式ホームページより)。
学校行事
[編集]前期
[編集]- 4月:入学式、始業式
- 5月:体育大会
- 6月:クラスマッチ
- 8月:四高祭
後期
[編集]- 10月:修学旅行(2年)、遠足(1,3年)
- 3月:卒業式、クラスマッチ(1,2年)、修了式
部活動
[編集]運動部
[編集]- バスケットボール
- 硬式野球
- テニス
- ソフトテニス
- バドミントン
- 剣道
- 陸上競技
- サッカー
- ハンドボール
- 柔道
- 卓球
- 水泳
- 山岳
- ラグビー
- 体操
- バレーボール
- バトン
文化部
[編集]- 放送
- 新聞
- 茶道
- 吹奏楽
- 音楽
- 美術
- 書道
- 将棋
- 文芸
- 演劇
- 調理
- 英語
- SSH科学
- SSH生物
- SSH電氣
主な成績
[編集]- 硬式野球部 : 全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)出場2回、全国優勝(1955年)、同年国体優勝。選抜大会(春の甲子園)出場1回。
- 女子テニス部 : 生川久恵・島田一子組が皇后杯優勝(1950年)、インターハイ2連覇、国体3連覇。1948年から1953年まで全国軟式庭球選手権、国体での優勝が続き黄金時代と言われた。
- 陸上部 : 1950年から三重県高校選手権女子12連覇。服部千恵子がインターハイ走高跳優勝(1950年)。位田保子がアジア大会やり投2位(1954年)。近年活躍が目立つ。2004年から4年連続で、インターハイ、国体に出場。
- 地学部(現・SSH科学部) : アメリカ初の人工衛星エクスプローラー1号の国内観測第1号(1958年)。
- 放送部 : NHK杯全国高校放送コンテスト全国大会30年連続出場。
- ディベート部 : 全国中学・高校ディベート選手権全国ベスト8(2002年)。
- 美術部:緑化ポスター全国コンクール特選(1985年)。全国高校生デザインコンクール最優秀賞(1993年、1994年)。
- SSH電氣部:第11回全国高等学校パソコンコンクール パソコン甲子園2006出場(2006年)。
通信制
[編集]1948年(昭和23年)の三重県立四日市高等学校の設立に伴い、通信教育実施校に決定し、通信制課程の募集を開始した。当初は制度や教材の不備などもあり大半が中途退学していたが、学習進度表、認定試験、スクーリングなどが定着するにつれて徐々に卒業者が増加した。1957年(昭和32年)には通信教育のみによる卒業生が誕生した。1959年(昭和34年)からは合宿スクーリングが開講されたほか、協力校の設定、東海3県交歓会への参加(1958年(昭和33年)~))、クラブ設置(1955年(昭和30年)~)、生徒会の設立などによって教育環境が整備された。
1962年(昭和37年)には集団入学が開始され、翌年随時入学が廃止された。集団入学は1997年(平成9年)に東洋紡績株式会社(東洋紡績富田工場)在籍の4名が卒業するまで続けられた。また、1975年(昭和50年)には国立療養所鈴鹿病院の筋ジストロフィー患者の入学を認め、加佐登学級が誕生した。これは1989年(平成元年)に三重県杉の子養護学校高等部が設置されたことに伴い廃止された。
全日制と通信制の生徒の間にはほぼ交流はなく、文化祭も別々に行われていたが、卒業式は全日制と一緒に行われていた。
通信制普通科が設置され、定員は300名であった。2006年(平成18年)に三重県立北星高等学校の設立に伴い、募集を停止した。
その他
[編集]家庭科室のある建物は1986年(昭和61年)に宿泊施設として整備され、1クラス分の生徒が泊まることができた。1年生の春には、ここを利用してクラス単位で校内合宿が行われていた。なお、現在は改装され行うことはできない。
1955年(昭和30年)に高校単独としては全国初の生活協同組合を設置したが、規模が小さく(売り場は教室一個分)、経営難のため1998年(平成10年)に購買部へと移行した。
おもな刊行物
[編集]二中・富中
[編集]- 校友会雑誌:文芸部が刊行(1901年~1942年、全52冊)
四高女
[編集]- 懐雪:同窓会誌(1924年~1939年、全29号)
- 会誌:校友会の機関紙(~1941年、全16冊)
北高女
[編集]- とみすはら:同窓会の機関紙(1930年~1938年、全7冊)
四高
[編集]- 八稜星:生徒会の機関紙。現在はテーマ企画と各クラス・クラブ活動・四高祭の活動報告が主体(1967年~)
- 図書館だより:図書館の機関紙。図書館のホームページからも閲覧可能(1970年~)
- 同窓会報:同窓会の機関紙(1955年~)
- 導(しるべ):進路指導用の刊行物。卒業生の受験体験談などを盛り込む(1966年~)
- 泗高学生新聞:新聞部発行。多いときには年5回発行。かつては安保や公害なども扱った(1948年~)
- PTA四高:PTAの広報誌。年2回発行(1973年~)
- Air Ship:文芸部の部誌。年数回発行
著名な出身者
[編集]文化人
[編集]- 丹羽文雄(作家、文化勲章)
- 武内義雄(中国哲学、文化功労者、東北帝国大学名誉教授)
- 田村泰次郎(作家)
- 林良嗣(工学者、名古屋大学名誉教授、元世界交通学会会長、元土木学会副会長、元日本環境共生学会会長)
- 藤田敏八(映画監督)
- 大橋歩(イラストレーター)
- 瀬木直貴(映画監督)
- 川村ケンスケ(映像ディレクター)
- 伊吹有喜(作家)
- 岡野聡(キャラクターデザイナー)
スポーツ
[編集]政治家
[編集]- 田中俊行(元四日市市市長、元三重県議会議員)
- 井上哲夫(元参議院議員、元四日市市長)
- 平田佐矩(平田紡績社長、元四日市市長)
- 片岡恒一(元帝国議会衆議院議員)
- 平田耕一(元衆議院議員、元参議院議員)
- 田中覚(元衆議院議員、元三重県知事)
- 小林正美(元日本社会党衆議院議員)
- 山本幸雄(自治大臣、国家公安委員会委員長、元衆議院議員)
- 稲垣昭義(三重県議会議員)
実業家
[編集]- 岡田卓也(イオングループ創業者)
- 伊藤勘作(網勘製網創業者)
- 岡田邦彦(J.フロント リテイリング会長、松坂屋社長、名古屋商工会議所会頭)
- 須原伸太郎(エスネットワークス創業者)
- 種橋潤治(三重銀行頭取、三重県商工会議所連合会会長)
- 樋口章憲(三洋化成工業社長)
- 野原佐和子(イプシ・マーケティング研究所社長、慶應義塾大学特任教授、SOMPOホールディングス取締役、ゆうちょ銀行取締役、東京ガス監査役)
- 森下俊三(NTT西日本社長、阪神高速道路会長、NHK経営委員会委員長、関西経済同友会代表幹事、関西経済連合会副会長)
その他
[編集]- 野島博之(予備校講師・学研プライムゼミ特任講師)
- 南川秀樹(元環境事務次官、元日本廃棄物団体連合会会長)
- 稲垣久生(駐トンガ特命全権大使)
- 樋口清司(元宇宙航空研究開発機構副理事長、元国際宇宙航行連盟会長)
- 高嶋辰彦(陸軍軍人、陸軍少将 / 宮城事件)
- 水谷一生(陸軍軍人、陸軍大佐 / 宮城事件)
- 宮脇憲一(RKB毎日放送アナウンサー)
- 安田安之(テルアビブ空港乱射事件実行犯)
交通
[編集]※ 駅から徒歩で1分と日本一最寄駅から近く、アクセスが良い場所に立地している。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 四高100年写真集、1999年
- 三重県地位向上委員会 編『三重のおきて ミエを楽しむための48のおきて』アース・スター エンターテイメント、2015年1月25日、174p. ISBN 978-4-8030-0657-5