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三遊亭花遊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

三遊亭 花遊(さんゆうてい かゆう)は、落語の高座名の一つである。


三遊亭さんゆうてい 花遊かゆう
三遊亭(さんゆうてい) 花遊(かゆう)
三遊亭圓朝一門定紋「高崎扇」
本名 野村 勘三郎
生年月日 1862年7月10日
没年月日 (1923-09-01) 1923年9月1日(61歳没)
師匠 2代目三遊亭圓馬
初代三遊亭圓遊
名跡 1. 三遊亭竹馬(? - 1893年)
2. 三遊亭奴遊(1893年 - 1898年)
3. 三遊亭花遊(1898年 - 1923年)
活動期間 ? - 1923年

三遊亭 花遊(さんゆうてい かゆう、本名:野村 勘三郎、1862年文久2年)7月10日 - 1923年大正12年)9月1日)は、音曲師落語家

隻眼音曲師。明治20年代初めに2代目三遊亭圓馬の門下で三遊亭竹馬、同20年代半ば(1893年ころ?)に初代三遊亭圓遊の門下で三遊亭奴遊、同30年代初め(1898年ころ?)に三遊亭花遊となった。

6代目三遊亭圓生の談によると澄んだいい声で節回しもよくすんなりとして欲のない江戸前の芸だったという。

5代目三遊亭圓生が真打昇進し三遊亭圓窓を名乗っていたころ、花遊の芸に惚れ込みお金を工面するから義眼を入れて自身の膝がわりに出で貰い売り出そうとしたが、このまま気楽にしていたいと断られたと言う。

昔ながらの古風な芸人で将来を嘱望されていたことが窺える。

関東大震災で被災して死去した。

SPレコードは「おけさ節」「勉強節」が残されている。

参考文献

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  • 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社ISBN 458212612X
  • 古今東西噺家紳士録