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三芳元定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

三芳 元定(みよし もとさだ、天保2年(1831年) - 明治7年(1874年)以降)は、幕末から明治時代の農民、浪士、官僚。通称は良三[1][2]。変名に横見良三、早田良助[3]入間県平民[2]

経歴

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横見郡古名村の出生[1]慶応3年(1867年)末、相楽総三を中心として三田薩摩藩邸に集った浪士として姿を現す[3]

明治元年(1868年)9月29日、商法司筆生を申し付けられ、明治2年(1869)3月18日商法司廃止により免じられる[2]。同4月14日に刑法官御内用掛[2]。同8月摂津・播磨出張中に罷免されたが、同19日に弾正台巡察属となる[2]

明治3年6月18日、巡察属免官[2]。同10月25日京都府に出仕する[2]。同12月24日、権少属[2]。同日、少監察助となるが明治4年5月22日、免ぜられて徒刑囚係となる[2]

廃藩置県後の明治5年2月、権少属に再任[2]、同日鞠獄課徒刑囚掛となった。同10月2日上等月給下賜[2]

明治7年3月、免本官[2]

脚注

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  1. ^ a b 明04-0015-002『府藩県往復』京都歴彩館蔵
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 「判任官履歴書4(明治元‐7年)」『京都府史料』国立公文書館蔵
  3. ^ a b 『「赤報記」相楽総三関係史料集』信濃教育会、1939年、4頁。