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三浦為積

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
三浦為積
時代 江戸時代後期
生誕 天明元年9月14日1781年10月30日
死没 天保8年8月15日1837年9月14日
改名 丈之助(幼名)→為積
戒名 金剛台院義巌恵雄大居士
墓所 了法寺和歌山県和歌山市
官位 従五位下長門守
主君 徳川治貞治宝
紀州藩家老
氏族 三浦氏
父母 父:三浦為脩、母:植村家道の娘
正室:安藤道紀の娘・真珠院
為章、藤次郎、欽之丞、鈴木皐吉、中之助、郁(安藤直則室)、美材(伊達正時室)、楠(金森良方室)、雅(角倉玄寧室)、
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三浦 為積(みうら ためあつ)は、江戸時代後期の紀州藩家老。三浦長門守家第6代当主。官位従五位下長門守

生涯

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天明元年(1781年)9月14日、紀州藩家老三浦為脩の長男として紀伊国で生まれる。幼名丈之助寛政元年(1789年)1月15日に藩主・徳川治貞に初めて拝謁し、父の死去により同年10月に家督を相続する。

寛政6年(1794年)6月1日、藩主・徳川治宝に拝謁し、寛政8年(1796年)4月13日に治宝を烏帽子親として元服。寛政9年(1797年)には江戸に出府し、同年11月1日に第11代将軍徳川家斉に拝謁。同年12月には従五位下長門守に任官。寛政10年(1798年)5月15日、紀州藩附家老を務める叔父・安藤道紀の娘と婚姻。

文化5年(1808年)、先祖である三浦義同正木時忠の供養塔を正文寺千葉県南房総市)に建立する。文化8年(1811年)4月22日に江戸赤坂伝馬町の屋敷を返上し、替地として四谷天龍寺前の牧野織部上地(780坪)を賜る。文化11年(1814年)6月10日に江戸出府を命ぜられ、同年中に江戸木挽町の寄合・榊原采女屋敷を拝領し、翌文化12年(1815年)4月15日に家斉・家慶父子に拝謁。文政3年(1820年)4月1日に紀州帰国の命を受け、同年4月28日に病を理由に隠居して家督を嫡男・為章に譲る。

天保8年(1837年)8月15日、病のため死去。享年57(満55歳没)。墓所は和歌山県和歌山市了法寺

系譜

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  • 父:三浦為脩
  • 母:植村家道の娘
  • 正室:真珠院(安藤道紀の娘)
  • 側室:飯田甚三郎の娘
    • 三女:禎(早世)
  • 側室:近藤甚左衛門の娘
    • 五女:藤(早世)
    • 六女:庸(早世)
  • 側室:水上広道(武太夫)の娘
  • 側室:志富田一作の娘
    • 十一女:志津衛(早世)
    • 四男:鈴木皐吉(鈴木四郎兵衛の養子)
  • 側室:近藤十兵衛の娘
    • 十二女:藤野(正木主殿[1]室のち津守上野介室)
  • 側室:水谷英祐の娘
    • 十三女:おいの(早世)
    • 十四女:良(早世)
    • 五男:中之助(早世)
    • 十五女:睦(山中大輔[2]室のち有本兵庫[3]室)
  • (生母不詳)
    • 長女:郁(安藤直則室)
    • 次女:美材(伊達正時[4]室)
    • 四女:楠(初名は本、金森良方[5]室)
    • 次男:藤次郎(初名は陽之助、早世)
    • 三男:欽之丞(早世)
    • 八女:キシ(初名は兼、早世)
    • 九女:盈(大屋良太郎室)
    • 十女:静(石丸源五郎室のち吉村源三郎室)

脚注

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  1. ^ 紀州藩士・正木五郎兵衛の嫡男。
  2. ^ 紀州藩家老・山中俊信(筑後守)の六男。
  3. ^ 紀州藩士・有本左門の嫡男。
  4. ^ 紀州藩士・伊達但馬守の嫡男。通称は久吉。
  5. ^ 紀州藩士・金森孫右衛門の嫡男。通称は主計。

参考文献

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