三沢市役所
三沢市役所(みさわしやくしょ)は、日本の地方公共団体、三沢市の執行機関としての事務を行う施設(役所)。
概要
[編集]当役所は、三沢市桜町1丁目1番38号に置かれている。
最初の市庁舎が着工されたのは大三沢町時代のことである。1956年(昭和31年)6月、町役場の西部移転を求める請願が議会で論議された。財政再建中であることを理由に移転に反対する議員もあったが、12月に議会は財源の見通しがつき次第移転すべき、と議決した。1957年(昭和32年)4月に新役場の位置が大三沢町大字三沢字上久保31番地420号に定められた[1]。この年、議会は市制施行申請の実施を決め[2]、新庁舎は将来の市庁舎として使われることになった。新庁舎は鉄筋コンクリート2階建て、1047平方メートルで、9月に着工された[3]。工費は1867万円で、町有地の売却代金の一部が充当された[4]。
新庁舎は市制施行直前の1958年(昭和33年)8月27日に完成した[5]。8月31日は日曜であったが、休日返上で引っ越しが行われ[6]、翌9月1日から三沢市役所として開庁した。新庁舎落成記念行事は市制施行記念祝賀会の一環として9月15日に行われた[7][8]。このときは全課が庁舎に入りきらず、土木・建設・水道の3課は旧西部支所に残留することになった[5][9]。
1971年(昭和46年)には地下1階、地上4階に建て替えられることになり、2月18日に起工式が行われた[10]。総工費は3億6600万円、総建物面積4708平方メートルで[11]、工事中はプレハブの簡易庁舎が使用されていたが、1972年(昭和47年)5月に完成、15日から新庁舎で業務を開始した[12]。防音の庁舎は県内初であり、当時の三沢市では最も高い建物であった[13]。
1980年(昭和55年)には別館の建設が始まり、12月5日に起工式が行われた[14]。別館は1981年(昭和56年)に完成し、11月9日から使用が開始された[15]。
開庁時間
[編集]アクセス
[編集]*青い森鉄道三沢駅から
- 三沢市コミュニティバス「みーばす」で「市役所前」バス停もしくは「市役所・公会堂前」バス停下車。
- 徒歩約2.3km・約35分。
- 車で約10分。
- 国際興業バス夜間高速バスしもきた号(新宿・大宮発着)で「三沢市役所(公会堂前)」バス停下車。
周辺
[編集]- 三沢市公会堂
- 三沢市体育館
- 三沢市武道館
- 中央公園
- 三沢市立図書館
- 三沢市商工会館
- 三沢郵便局
脚注
[編集]- ^ 西村嘉編『三沢市史 通史編』三沢市、1988年、246-247ページ。
- ^ 『三沢市史 通史編』254-255ページ
- ^ 「三沢市誕生あと3日 祝典、花火、歌、踊り― 祝賀準備にてんてこ舞」『読売新聞』昭和33年8月28日付朝刊12面(青森)。
- ^ 『三沢市史 通史編』247ページ
- ^ a b 「「市制」喜ぶ大三沢 廿七日に新庁舎も完成」『東奥日報』昭和33年8月25日付夕刊2面。
- ^ 「塗り変えられる新地図 きょう三沢市誕生 浦野館村も〝上北町〟に 二町村には大臣勧告か 県下で七番目 自力で踏切った三沢」『読売新聞』昭和33年9月1日付朝刊10面(青森)。
- ^ 「おめでとう三沢市 きょう記念祝賀会開く」『東奥日報』昭和33年9月15日付朝刊4面。
- ^ 「駒踊り、旗行列で祝う 三沢 市制施行の記念祝賀会」『東奥日報』昭和33年9月16日付朝刊2面。
- ^ 『三沢市史 通史編』258-259ページ
- ^ 「新庁舎建設始まる」『広報みさわ』第119号、三沢市役所、1971年3月、5ページ。
- ^ 「愛される市民のための新庁舎完成」『広報みさわ』第132号、三沢市役所総務課広報係、1972年5月、1ページ。
- ^ 「ピカピカ庁舎へ移転 三沢市 15日から業務開始」『東奥日報』昭和47年5月13日付朝刊8面。
- ^ 「モダン、県内初の防音 三沢市庁舎完成、引っ越し」『デーリー東北』昭和47年5月13日付7面。
- ^ 「市庁舎増築工事 今秋完成をめざし」『広報みさわ』第236号、三沢市役所市長公室広報課、1981年1月、3ページ。
- ^ 「増築庁舎完成 福祉、教委、水道、農委、選管、監査、計算移転――電話番号これまで通り――」『広報みさわ』第245号、三沢市役所市長公室広報課、1981年10月、3ページ。